テニスPRESSBACK NUMBER
“最年少記録ホルダー”ヒンギスが41歳に 最強の天才少女は、追いかけ続けた「絶対女王グラフ」を超えられたのか
posted2021/09/30 11:03
text by
山口奈緒美Naomi Yamaguchi
photograph by
Getty Images
予選上がりの18歳が全米オープンを制覇するというシンデレラ・ストーリーは、多くのファンの脳裏にかつての〈少女チャンピオン〉たちを想起させたに違いない。エマ・ラドゥカヌよりも若くしてグランドスラム初制覇を遂げた女子はオープン化以降7人いるが、中でもその最年少記録を持つマルチナ・ヒンギスは鮮烈だった。
天才少女が追うのは、絶対女王・27歳のグラフのみ
あれはまだヒンギスが16歳だった1997年の全豪オープンのこと。1セットも落とさずに勝ち進み、決勝では2年前の優勝者マリー・ピエルスをやはりストレートで破り、1990年の全仏オープンを制したモニカ・セレスより72日若い最年少記録を打ち立てた。
それだけで十分に印象深い歴史の1ページだが、日本のテニス関係者、ファンにとっては、その翌週の東京での出来事もひっくるめて忘れられない新時代到来のドラマとなった。
当時のツアーカレンダーでは、今は秋に開催されている東レパンパシフィック・オープン(東レPPO)が全豪オープンの翌週に開催されていた。ツアーの中でも格付けが高く、南半球から欧米へ帰っていくトッププレーヤーたちの多くが出場する華やかな大会だった。ヒンギスは前年にもこの大会に出場して準決勝に進出。天才少女の呼び声に応えてしっかりと足跡を残してから1年、獲ったばかりのグランドスラム・タイトルを引っ提げて世界ランキング2位として東京へ“帰還”した。
追う相手はただひとり。当時女王に君臨していた27歳のシュテフィ・グラフだった。初めてナンバーワンになってから約9年半の歳月が経ち、その間断続的ではあったが、女王の在位期間は東レPPOの週で通算369週目となり、女子の最長記録を更新中だった。ヒンギスだけでなく、全豪は4回戦で敗れたグラフも揃って出場するとあって、東京は色めきたった。
グラフの真横で「ナンバーワンまであとどのくらい?」
大会前夜の記者会見は、主要選手がずらりと壇上に並ぶというスタイルで、最前列の中央にヒンギスとグラフが座る。想像するだけでも気まずい光景なのだが、追い討ちをかけるような質問がヒンギスに投げかけられる。
「ナンバーワンまであとどのくらいかかりますか」