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“最年少記録ホルダー”ヒンギスが41歳に 最強の天才少女は、追いかけ続けた「絶対女王グラフ」を超えられたのか
text by
山口奈緒美Naomi Yamaguchi
photograph byGetty Images
posted2021/09/30 11:03
99年の東レでグラフを下し、初優勝を果たしたヒンギス。本日9月30日は41回目の誕生日だ
物分かりよく、やさしい観客たちは、あの日「目撃できなかったもの」の意味をその後のふたりの関係から幾度か考えてみたことだろう。
勝ったのはグラフなのか、ヒンギスなのか?
ヒンギスは東レPPOのあとも勝ち続け、3月31日についにナンバーワンの座をグラフから奪い取った。マイアミで優勝した翌日のことだったが、グラフが戦列を離れていたために、その大会の結果がどうであれ新女王誕生は決まっていた。
「負けて1位になりたくなかった。みんな私がプレッシャーで早く負けると思っていたんじゃないかしら。でも私の意志の力が勝ったのよ。対処できた自分を誇りに思う」と言ってのけたヒンギスは、グラフについてはこう語っている。
「もしシュテフィがいい状態で戻って来るなら、また試合がしたいわ。もう長い間、対戦していないんだもの」
その機会が訪れたのは、翌シーズンも暮れかけた11月のフィラデルフィアだったが、勝ったのは17位までランキングを落としていたグラフだった。ヒンギスがようやくグラフを倒したのはあの決勝戦の不戦勝から2年後の東レPPO。しかし、その後、99年の全仏オープン決勝で勝ったのもグラフだった。パリのファンはわがままなイメージの若い女王よりも成熟した元女王を極端に好んで後押しし、ヒンギスに容赦ないブーイングを浴びせたものだ。あのパリがふたりにとって最後の対戦となり、グラフにとって最後のグランドスラム優勝となった。
グラフはヒンギスにナンバーワンの座を奪われて以降、一度も返り咲くことはなかった。しかし通算対戦成績はグラフの7勝2敗だ。なお、不戦勝は対戦成績には反映されない。 結局、勝ったのはどちらだったのだろうか。
22歳の若さで最初の引退
それから時代は、同年代で後発のウィリアムズ姉妹に象徴されるパワーテニスへと移り、パワーではなくテクニックと天性の読みの鋭さを武器に頂点を極めたヒンギスはその地位を追われていく。22歳の若さで最初の引退。それから復帰と引退を繰り返し、ダブルスのみに限定した第3のキャリアを終えたのは2017年の10月だったが、シングルスで1位をマークしたのは21歳のときが最後だった。
偉大な女王たちの宿命を思い返してみる9月30日――ヒンギス41歳の誕生日である。
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