情熱のセカンドキャリアBACK NUMBER

世界王者を4人育てた帝拳ジムの名トレーナー・葛西裕一は、なぜアマチュアの“ボディメイク”指導者に転身したのか 

text by

二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

PROFILE

photograph byYuki Suenaga

posted2021/10/01 06:00

世界王者を4人育てた帝拳ジムの名トレーナー・葛西裕一は、なぜアマチュアの“ボディメイク”指導者に転身したのか<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

今はアマチュア相手にボクシングやボディメイクを指導している名トレーナー葛西氏

なぜ50歳を手前にして“大勝負”に打って出たのか──。

 ジムの4階にあるメインフロアでは葛西がミットを持って、会員のパンチを受けていた。パンチの構えについて一つ二つアドバイスを送っては「じゃあもう一度打ってみましょう」と促す。するとその効果がすぐにあらわれる。教え魔にならず、的確にポイントを伝える姿はプロを教えていたときとかぶる。

「余計なことまで教えなくていいっていうのが私の考えですから。世界のボクシングを見ても至ってシンプル。バランス良く、強くパンチを打てればいい。打つときに後ろ足のかかとが上がっていなきゃダメだとか、そういうのも一切言わないです。楽しく打つ、楽しくボクシングをやってもらうことが前提です」

 選択するコースによってトレーニングの強度も変わってくるが、原則として「楽しく」は抜け落ちないようにしている。実はここが「GLOVES」を立ち上げた理由にもなっている。

ベネズエラで受けたカルチャーショック

 1990年代、日本のボクサーが海外でトレーニングを積むのがまだ珍しかった時代、葛西はベネズエラやラスベガスに渡って武者修行をした。当時ベネズエラには世界ボクシング協会WBAの本部があり(現在はパナマ)、ボクシングは国内でも非常に人気の高いスポーツだと言える。

 ちょっとしたカルチャーショックだったのは、ボクサーじゃない一般の人でもボクシングの構えがサマになっていること。

「特にベネズエラはそう感じましたね、誰が構えてもボクサーっぽくて、センスがありそうで。これって文化だなって思ったんです。ボクシングのマインドを、多くの人が持っているんだな、と」

 馴染みのあるスポーツとして多くの人がボクシングをやるようになれば、競技人口が増え、そのなかからトップボクサーも出てくる──。

【次ページ】 帝拳ジムに骨をうずめるつもりだったが……

BACK 1 2 3 4 NEXT
葛西裕一
帝拳ジム

ボクシングの前後の記事

ページトップ