情熱のセカンドキャリアBACK NUMBER
那須川天心15歳《ボクサーの天才性》は西岡利晃と同レベルの衝撃だった… 葛西トレーナーが知る「相当な可能性」とは
posted2021/10/01 06:01
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
Yuki Suenaga
葛西裕一がトレーナーに転身して3年後、一人のスター候補を受け持つことになった。
JM加古川ジムから帝拳ジムに移籍してきた西岡利晃である。移籍前、WBC世界バンタム級王者ウィラポン・ナコンルアンプロモーションとのタイトルマッチに0-3判定で敗れていたとはいえ、その力量は「自分を遥かに凌駕する才能」と認めていた。
着手したのがバランスの矯正だった。体が前に出るクセを直して、瞬時にアタックとディフェンスを切り替えられるように仕上げていく。2001年のリマッチは三者三様の採点でドローに終わったものの、この方向性に間違いはないと確信できた。しかしその年の暮れ、ウィラポンとの第3戦が決まった直後の練習中、左アキレス腱断裂という大ケガに見舞われてしまう。
懸命なリハビリによって練習に復帰すると、再び二人三脚でスタイルの改良に取り組む。
指導は選手の自主性に主眼が置かれている
「彼の左の一発は本当に凄い威力。あのアタックを繰り返せばそのうちに終わるというボクシングでした。ただ足をケガしてからは、もっと戦略が必要だ、と。ジャブを使って先制攻撃したうえで相手の隙をうかがって攻めていく形をより考えていくようになりました」
2年のブランクを経てウィラポンに三たび挑むも再びドロー。半年後に行なわれた第4戦も0-3判定で敗れ、ウィラポンの牙城を崩すことはできなかった。
葛西は3度、世界挑戦に失敗して引退を決意した。だが西岡はそうではなかった。4年以上にわたって世界戦のチャンスが訪れなくともモチベーションを落とさない彼のトレーニングに寄り添った。
葛西の指導は選手の自主性に主眼が置かれている。
これはベネズエラやラスベガスに武者修行した際に感じたことでもあった。日本ではパンチ力をつけるために大きなサンドバッグから打ち込むのが常識とされていたが、海外ではむしろ小さなサンドバッグを打つのが一般的であった。