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[スペシャル対談]中田英寿×田嶋幸三「日本らしいサッカーとは何か?」
posted2021/09/26 07:00
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph by
Asami Enomoto
パイオニアとして世界への扉を切り開いてきた革命児と、創立100周年を迎えたJFAの現会長が、相対した。日本サッカーの進化と、壁を越え次のステップに進むために必要なもの、そして未来のあるべき姿までを論じ合う。
中田 今回、まず最初に田嶋さんに伺いたいのは、U-17世界選手権(1993年)を誰がなぜ日本に呼べたのかということです。というのも、僕はU-15で世代別の代表に選ばれ、U-17で初めて国際大会を経験した。あのU-17世界選手権がなければ、僕らの世代の強化はなかったと思うんです。
田嶋 当時、2002年のW杯招致に手を挙げていて、そのために国際大会開催の実績を作ろうと中心となっていたのは長沼健さん、岡野俊一郎さん、村田忠男さん、小倉純二さんたちですね。
あの頃、日本はバブルで資金も豊富にあった。FIFAとしては南米とヨーロッパを中心にしたW杯開催を世界中に広げようという機運があったし、当時のアベランジェ会長は親日家でよい関係を築けていたこともあり、U-17を日本でという流れになったのだと思います。
中田 そうだったのですね。その上でもうひとつ、最大の疑問は関東選抜の補欠だった僕が、なぜU-15日本代表メンバーに選ばれたのかということです。
田嶋 トレセンの制度を変えたのが大きいですね。それまでは全国各地域9つの選抜チームが集まって試合をするという形式だったのが、トレーニングをより強化していこうという方針になった。