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“飛び級”U-24で痛感した久保建英、田中碧らとの“違い”とは? 24年パリ五輪を目指すサガン鳥栖の高校生・中野伸哉のリスタート
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byJ.LEAGUE
posted2021/09/10 11:01
U-24代表合宿に参加したことで、現在地を把握できたというサガン鳥栖DF中野伸哉(18歳)。パリ五輪出場を目指して飛躍を誓った
一番戸惑ったのはプレースピードだった。パススピード、攻守の切り替え、そしてチームメイトの判断と一瞬の動き出しの早さ。「ボールポゼッションの練習をしていても、全然ボールを奪えないし、逆に奪われてしまう」と、周りについていけない自分がいた。
なかでも衝撃的だったのは紅白戦での出来事。別の選手にパスを出した中野に対し、2歳上の久保は「今、俺にパスを出せたでしょ」と投げかけた。だがこの時、中野には久保へのパスコースすら見えていなかった。
ボランチの田中碧からはパスを出した後に「(パスを)出した後、もっと動いて」。自分では動いていたつもりでも、周りから見ると足りていない。さらに彼が得意としている守備面でも周りから「もう一歩寄せられるぞ!」という声が飛んだ。
「守備の寄せる距離やタイミングには自信があったのですが、『まだダメなのか』と衝撃を受けました。全てにおいて僕は周りからすると足りていなかった。U-17W杯やJ1でも見えていた景色が見えなかった。正直、自信が揺らいでいました」
飛び級での招集は、彼らに近づけたのではなく、むしろ明確な差を見せつけられた形となった。だから東京五輪が自分にとって現実的な目標ではなくなってしまった。中野が純粋な思いで大会を観られた理由はそこにあったのかもしれない。
クラブユース選手権でも敗退
代表合宿で受けた衝撃は、その後の中野のプレーを狂わせた。5月26日のJ1第16節の北海道コンサドーレ札幌戦で先発出場した以降は、スターティングメンバーから遠ざかるようになった。
「これまで試合に出してもらえ続けて、『自分はやれるんだ』という自信を積み重ねていたのですが、出られなくなったことで、自分の感情のコントロールが難しくなりました」
さらに鳥栖U-18の一員として日本クラブユース選手権でも精彩を欠いた中野は、チームを決勝トーナメントに導けなかった。
「勝たせられなかった責任は大きかった。自分の力のなさを改めて痛感しましたし、どん底まで突き落とされた気がしました」