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「選手に“最高の試合”を」1979年“悲運のエース”→甲子園審判となった野球人が勇退で語った思いとは? <帝京の名物監督も引退>
posted2021/09/05 06:00
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph by
AFLO
降雨ノーゲームあり、降雨コールドもあり、史上最多の7度に及ぶ順延あり。そして大会史上初めての不戦勝(不戦敗)あり……。何もかもが異例ずくめだった今年の夏が「智弁対決」で幕を閉じた8月29日、甲子園を愛し、甲子園に愛された2人の野球人の区切りがニュースとして伝えられた。
1人目は堅田外司昭(としあき)さん。2003年から務めてきた春夏の甲子園の審判員を、決勝戦の一塁塁審を最後に勇退した。
1979年夏の「最高試合」箕島対星稜
いち審判員の勇退を新聞各紙が報じた理由は、堅田さんの球歴にある。1979年夏の箕島(和歌山)対星稜(石川)戦は、高校野球を深く愛した作詞家の阿久悠が、翌日のスポーツ紙に「最高試合」と題した詩を寄せたほどの熱戦だった。
その年の選抜を制した王者・箕島に星稜が食い下がる、延長18回の死闘。延長に入ってから、2度も星稜が勝ち越しながら、2度とも二死走者なしからのホームランで箕島が追いついた。人工芝の切れ目に足を取られ不運にも転倒したシーンや、箕島の主将が実はおたふく風邪にかかり、高熱を隠して出場していたことも話題となった。
筆者は3年前の夏に、関係者の証言をもとにこの「最高試合」を取り上げている。第4試合で延長戦からはナイター。空腹を耐えていた星稜に対して、箕島はレモンのハチミツ漬けを水で割り、チョコレートとともに水分、糖分の補給に努めていた。じゃんけんで勝てば後攻を選ぶのが常だった箕島だが、あの試合に限ればそれがさらに功を奏していた。