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「選手に“最高の試合”を」1979年“悲運のエース”→甲子園審判となった野球人が勇退で語った思いとは? <帝京の名物監督も引退>
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byAFLO
posted2021/09/05 06:00
「甲子園最高の試合」とも称される1979年夏の箕島-星稜。延長18回に及ぶ死闘だった
智弁和歌山の優勝と同日に退任した、帝京・前田監督
堅田さんのラストゲームを智弁和歌山が制した同じ日、帝京(東京)のグラウンドでは前田三夫監督が部員を前に退任を報告した。同校を率いて50年。26度の甲子園で3度の全国制覇、通算51勝の名物監督は「今年に入ったときには決めていた」と後進に道を譲ることを決断した。
それにしても前田監督の退任と智弁和歌山の優勝が同日とは、縁を感じずにはいられない。2006年夏の準々決勝で両校は激突。6点を追う8回、帝京は2点を返す。9回にもさらに反撃。二死に追い込まれたが、1年生だった杉谷拳士(日本ハム)のタイムリーでついに勝ち越した。さらに代打3ランが飛び出して、一挙8得点。逆に4点リードして裏の守りに選手は散った。
しかし、3ランを打った選手は、3人目の投手に送った代打だった。もちろん承知の上での用兵。相手も強打の智弁和歌山だ。1点の勝ち越しで逃げ切れるほど甘くはない。そして、起用した選手は期待以上の結果も残した。だが、終われなかった。春までは投手の練習をしていた4番手だが、連続四球から橋本良平(元阪神)に3ランを被弾。こうなれば相手校から「魔曲」と恐れられる「ジョックロック」に圧倒される。杉谷をマウンドに上げたが1球(死球)で降板。6人目もストライクが入らず、負けた。
表に8得点、裏に5失点。両チーム合わせて9人の投手が投げ、7本塁打が乱れ飛んだ「最高の打撃戦」。あれから15年がたち、前田監督は一線を退くが「まだまだノックはできるし、体力的には問題ありません」と意気軒昂だ。
名誉監督として10年間遠ざかっている帝京の甲子園出場を後押しする。