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「首が“くの字”に曲がって…」テコンドー山田美諭27歳が語る“壮絶な過去”…現在は信金に毎日勤務「庶務の勉強をしています」<五輪5位入賞>
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph byTakuya Sugiyama
posted2021/09/03 17:00
東京五輪では、日本人として初の準決勝に進出し5位入賞を果たしたテコンドー日本代表の山田美諭。現在は所属する城北信用金庫で働く日々を送っている
ちょうど国内では新型コロナウイルスが猛威をふるい、初めて緊急事態宣言が発令され、練習の拠点である大東文化大で練習することができなくなっていた。そこで山田は故郷の愛知県瀬戸市に帰省。父が切り盛りする道場でできる限りの自主トレに励んだ。
「でも、3カ月経っても首の状態は全く良くならなかった」
東京に戻り、国立スポーツ科学センター(JISS)で診てもらうと、初めて椎間板ヘルニアという診断が下った。ドクターからは「治ることはない」という非情な通告を受けた。「蹴られないようにするしかない。筋肉をつけるしかないという感じでした。でも、テコンドーは競技的に蹴られるので、どうすることもできない」。
山田は精神的に落ち込んだ。
「なんでまたこんなことになるのかな?」
そう思うのも無理はない。実は大ケガは今回が初めてではない。2016年1月、リオデジャネイロ・オリンピックに向けての代表最終選考会の試合中に山田は転倒し右ヒザ前十字じん帯を損傷していた。その後約1年はリハビリ中心の日々を余儀なくされた。
「午前中はJISSでリハビリをして、午後からは大東のテコンドーの練習を横目で見ながら自主トレをするという毎日を過ごしていました」
歯を食いしばって耐えるしかなかった。
「みんなが活き活きと練習する姿を見たら悔しくて……。トイレに行って隠れて泣いたりしていました」
北島康介の泳ぎを見て、現役続行を決意
ヒザにメスを入れたあと、山田は現役を続行するかどうか悩んだ。そうした矢先に一発勝負のリオの代表選考会に出場していた北島康介の泳ぎを見た。結果的に北島は敗北を喫してしまったが、山田はロンドン五輪以降満足な成績を残せなかったにもかかわらず、試合に挑み続ける北島の姿勢を目の当たりにして胸が熱くなった。
「私も、またテコンドーで頑張ろう」
気持ちは吹っ切れた。
「私と同じようにケガをしている選手に元気や希望を少しでも届けられるような選手になりたい」
塞ぎ込みがちだった気持ちもすぐ上向きになり、「復帰したら、絶対活躍してやる」と心に誓った。「振り返ってみると、あのヒザのケガがあったから、それまで以上に全力で練習に励むことができるようになったと思います」。