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愛馬の「突然の死」を乗り越えた馬場馬術・黒木茜が、東京オリンピックへの挑戦を諦めた理由「一番大切なのは…」
text by
カジリョウスケRyosuke Kaji
photograph byJRA/Ryosuke KAJI
posted2021/08/23 17:00
愛馬ジジにキスをする、リオデジャネイロオリンピックの馬場馬術日本代表の黒木茜
2015年、翌年に開催されるリオデジャネイロオリンピックの団体枠を獲得するための地域予選がドイツで行われることになった。当時はオリンピックに向けてヨーロッパを拠点に活動している選手がまだ少なかったことから、オランダを拠点にトレーニングを続けていた茜に白羽の矢が立ち日本代表に招集された。この地域予選は最終的に南アフリカとの一騎打ちとなったが前評判では日本は劣勢とみられていた。
だが、奇跡が起きた。合計得点率200.580%と200.520%のなんと0.06ポイントの僅差で南アフリカ代表を破り、団体枠を獲得した。予想外に日の丸を背負う機会を得た茜の競技環境は、この大会を機に想像を超えたものとなっていく。
リオ五輪で茜を助けた、パートナーのトゥッツ
2016年、茜は新たなパートナーにToots(トゥッツ)を迎える。リオデジャネイロオリンピックの4つの代表枠に対し代表選考会に挑んだのは6人馬。茜とトゥッツはここを4位で勝ち抜き出場を決めた。
迎えたオリンピック本番。茜は大舞台に緊張していた。出番直前の準備運動で緊張がトゥッツに伝わり硬くなって乱れてしまった。焦れば焦るほど状況が悪化し、基本中の基本である速歩さえ出せなくなった。そして立て直しができないまま出番を迎えてしまう。
入場を終え、演技が始まった。茜は最初の速歩区間の前で一呼吸置くことができた。それがトゥッツにも伝わった。実はトゥッツはワールドカップにも出場経験のある経験豊富な馬。馬が自分で状況を理解し、速歩を自ら出してくれたのだ。茜はトゥッツにエスコートされて、経路を周りきることができた。速歩が出たことで茜も吹っ切れたように笑顔が溢れ、楽しく演じ切ることができた。とても幸せな時間だった。
オリンピック後も順調に競技会をこなし、茜とトゥッツは次の目標としてインドネシアのジャカルタで開催されるアジア大会を目指した。
アジア大会で感じた、トゥッツの“異変”
しかし、ある競技会から異変を感じはじめた。ハミ(馬の口に付けて乗り手の指示を伝える馬具)を付けた時に舌を収められなかったのだ。トレーナーとも相談して、大きな問題はないだろうと判断した。そして出場したアジア大会の代表選考会では1位。「リオの時もそうだったし、本番になればちゃんとやってくれるんだ」と前向きに捉えた。そしてトゥッツをジャカルタに向けて輸送した。
2018年のアジア大会。ジャカルタはヨーロッパに比べてとても暑かった。トゥッツは環境に適応できず体調を崩したため、治療を行う専用の厩舎に隔離入院して経過を見ることになった。たくさん汗をかき、とても苦しそうだった。トゥッツが茜の元に戻ってきたのは出場の前日だった。