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愛馬の「突然の死」を乗り越えた馬場馬術・黒木茜が、東京オリンピックへの挑戦を諦めた理由「一番大切なのは…」
text by
カジリョウスケRyosuke Kaji
photograph byJRA/Ryosuke KAJI
posted2021/08/23 17:00
愛馬ジジにキスをする、リオデジャネイロオリンピックの馬場馬術日本代表の黒木茜
初日の団体戦、調子の悪い茜とトゥッツを4番手とするオーダーで、日本代表メンバーは3番手までで優勝を決める覚悟で挑んだ。その期待通り日本代表は見事に3番手で団体金メダルを確実にする。そして茜とトゥッツは万全とは言えない体調の中で5位の成績を残すことができた。しかし、翌日に行われた個人戦は予選16位で敗退し、アジア大会を終えた。
トゥッツの突然の死…「間違いなく、選択した人の責任」
ジャカルタからオランダに帰国したトゥッツは少しずつ元気を取り戻した。しかし、18歳と高齢でありアジア大会で体調を崩してしまったことからも、これ以上の無理はさせられないと考え競技からは引退させ、アメリカ合衆国のコロラド州で余生を過ごすことになった。
しかし、ゆっくりする間もなく半年後に突然心臓発作を起こし、トゥッツはこの世を去ってしまった。
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茜は悔やんだ。アジア大会が直接的な原因かはわからない。それでも誤魔化しながら競技会に出場し、インドネシアにまで運んでしまった。トゥッツはアジア大会の前から不調を訴えていたはずだ。トゥッツの言葉に耳を傾けず、見てみぬふりをした自分を責めた。
「選手にとって『日本代表』はとても大きな実績。どうにかして選ばれたいし、どうにかして出場したい。リオは全てがいい方向に向かった。でも、アジア大会では馬に苦しい思いをさせ、最終的には命まで奪ってしまった。それは間違いなく選択した人の責任」
トゥッツを失った喪失感は大きいものだった。それでも時は茜を待ってくれない。東京オリンピックまであと2年と迫っていた。茜はすぐに新しいパートナーを探し迎え入れたのだが、不運は重なりすぐに亡くなってしまった。馬術競技は馬がいないと成立しない。いくら自分の強い気持ちがあっても、馬がいなければ競技には出られない。馬術選手としてさえ成立しない。自分よりも馬のことを何よりも優先しなければならないことを痛感した。
「馬がハッピーでなければライダーもハッピーにはなれない」
2019年9月、茜はドイツにあるアウベンハウゼンに移籍し、Benjamin Werndl(ベンジャミン)をトレーナーに据える。アウベンハウゼンは”Home of the dressage”(馬のおうち)を掲げ、馬と共に幸せに暮らす場所を目指しているステーブル。ここに所属するベンジャミンの妹のJessica von Bredow-Werndl(ジェシカ)は今回の東京オリンピックの馬場馬術ドイツ代表で、個人・団体の金メダリスト。東京オリンピックの馬場馬術競技を視聴された方は、その美しい演技やジェシカの笑顔に魅了されたことだろう。