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《五輪閉会式》57年前のIOC会長スピーチはわずか2分だった!「天皇陛下も見ておられる…」本当はNGだった“伝説の演出” 

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近藤正高

近藤正高Masataka Kondo

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posted2021/08/17 17:01

《五輪閉会式》57年前のIOC会長スピーチはわずか2分だった!「天皇陛下も見ておられる…」本当はNGだった“伝説の演出”<Number Web> photograph by Getty Images

8月8日の東京五輪閉会式。やっぱり長かったバッハIOC会長のスピーチ

 じつは記録映画を手がけた市川崑もまた、松澤と同様の考えを持っていた。閉会式を数日後に控えた式典課のミーティングで、市川は唐突に「閉会式では各国選手が打ち解け、競技を終えてリラックスしたような姿を撮りたい。そんな演出は考えられないか」と提案したところ、式典課のスタッフたちから強い反対を受ける。「閉会式は天皇陛下も見ておられるなかで行われる。世界中も注目している。あくまで整然と厳粛に行われるべきだ」というのが彼らの言い分だった。このとき、松澤は一言も口にせず、式典課のスタンスを見極めると、ひそかに数名の同志を集めて自らの計画を実行に移すことを決意したらしい。

 閉会式の始まる前、選手たちは国立競技場の入場口の外で国ごとにロープで区切られて待機していた。松澤は実働部隊に命じて、そのロープを入場直前に外させ、各国が入り交じった状態をつくり出した上、会場に突入させることにした。彼のもくろみどおり、ロープが外されるや選手たちはたちまち国を超えて肩を組み、手を取り合うと、そのまま興奮した状態でグラウンドに飛び出していったのである。

昭和天皇も笑顔でうなずいた

 松澤の行動は式典課の意向に反するもので、下手をすれば懲戒問題になりかねなかった。そんなことは彼も重々承知していた。それにもかかわらず、各国の選手が入り交じった入場行進にこだわったのは、閉会式を通じて平和の尊さを伝えたかったからである。式典課の国旗担当で、例のロープを外す実働部隊にも加わった吹浦忠正(今回の東京五輪でも国旗を担当)は、東京五輪の会期中に中国が初めて原爆実験を行ったとき、松澤が見せた絶望の表情が忘れられないと証言している。松澤はまた、競泳の指導者として多くの教え子たちを戦争で失った無念さをずっと胸に抱えていた。

 松澤の願いどおり、閉会式は世界平和の理想を示すかのような祝祭ムードに包まれた。退場するときも選手たちは、スタンドの観衆に向かって大きく手を振ったり、飛び跳ねたりとおのおの自由に振る舞いながら行進している。ロイヤルボックスの前であいついでおじぎをする選手たちに対し、昭和天皇も笑顔でうなずき、帽子を振って応えた。「天皇陛下も見ておられる……」との懸念から式典課では却下された“整然ではない行進”は、ふたを開けてみれば当の天皇からも喜びをもって受け止められたのである。

 このとき、フィールドに並んだ東京女子体育大学の学生たちとスタンドの観衆が、退場する選手とともに一斉に白いハンカチを振りながら別れを告げた。前出の映画『東京オリンピック』のクライマックスに出てくるこのシーンは、選手と一般の人たちが一体となり、ひときわ感動的である。残念ながら、今回の東京五輪の閉会式は、開会式や大半の競技と同様に無観客で行われたため、こうした光景は見られなかった。

(【続きを読む】東京五輪閉会式“バラバラ感”の正体…「WAになっておどろう」&欽ちゃんの名司会でアットホームだった長野五輪との差 へ)

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