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なぜ“埼玉の絶対王者”花咲徳栄は県5回戦で負けたのか?「ヤバい、ヤバい」「生徒の心が見えなかったなぁ」監督と選手の証言
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph bySankei Shimbun
posted2021/08/25 17:02
埼玉県大会5回戦、花咲徳栄対山村学園。サヨナラ負けで甲子園連続出場が「5」で途絶え、ショックを受ける花咲徳栄の選手たち
外野は、あのハーフスイングの判定を訝しがる。仮にストライクだったとしたら、おそらく疑義を唱える者は少なかったはずだ。それくらい際どいプレーだったが、監督の岩井隆は「あれは負けた理由と全く関係ない。教育の場である高校野球で、審判に不信感を持つのはよくない」と潔く敗戦を認めた上で、いたずらっぽく笑いながら自嘲する。
「『花咲、もういいんじゃない?』って雰囲気があったんじゃないかな、ははは。5連覇もしたんだし、もういいだろって」
埼玉県の夏の甲子園出場記録を更新し続けてきた花咲徳栄の連覇が、「5」で途絶えた。
今年の夏も優勝候補の本命と目されながら、あまりにも早すぎる敗戦だった。周囲はそれを、「波乱」と騒ぎ立てた。
しかし、当事者の見解は異なる。
「波乱じゃない。必然に近いですね。こういう日が近いうちに必ず来ると思っていた」
岩井は清々しいほどきっぱりと言った。その声は、澄んでいるようにさえ思えた。
2001年夏に花咲徳栄を初の甲子園へと導いてから、春も合わせ通算15勝。17年夏に全国の頂点にも立った岩井は、敗因を招くこととなる綻びを数年前から予見していた。
指揮官はそれを、「気の緩み」と表現する。
「うちは生徒の『自立』を大切にしていて、入学して1年間はルールを守らせることを徹底させます。挨拶をする、返事をする、時間を守る、整理整頓をする……こういった一般的な社会常識をしっかりと身に付けさせます。その土台ができて初めて、野球だったり、目の前のことに一生懸命、打ち込めると思うんです。そういったプロセスを2年生まで積んでいれば、3年生になった頃には自分たちで考えて正しい行動をとれるようになる。これが、花咲の『自立』であり、強みなんです。日本一になった年は今年ほど選手の能力は高くなかったんですが、それらを徹底的にやり込んだことによって、指導者から言わなくても動ける集団になれていました」
「悲しんでいる子供たちを見たら…怒れないですよ」
岩井がはっきりとその綻びを認識できたのは、県大会5連覇を遂げた19年のチームからだという。花咲徳栄の本質を学び、自覚を持って行動に移せるようになって初めて自立が生まれるはずが、彼らはそれを「自由」とはき違えてしまっていた。
そこに加え指揮官は、チームより自分、すなわち個人の結果にこだわる傾向が強くなっていることにもジレンマを抱えていた。それらをひっくるめて、「気の緩みを直せなかった責任は感じています」と自戒する。
チームを根本から立て直し切れなかったのはなぜか。極論を述べれば、昨年まではそれでも勝てていたからである。
だからといって、岩井はチームを放置し続けてきたわけではなかった。