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なぜ“埼玉の絶対王者”花咲徳栄は県5回戦で負けたのか?「ヤバい、ヤバい」「生徒の心が見えなかったなぁ」監督と選手の証言
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph bySankei Shimbun
posted2021/08/25 17:02
埼玉県大会5回戦、花咲徳栄対山村学園。サヨナラ負けで甲子園連続出場が「5」で途絶え、ショックを受ける花咲徳栄の選手たち
5連覇を達成した直後の19年の秋。新チームはセンバツ出場権を獲得するが、自立の兆しすら伺えないことを見かねた岩井は、シーズンオフの冬場から20年の夏にかけて、本来の花咲徳栄を取り戻す作業に力を注ごうとした。だが結果的に、それは叶わなかった。
新型ウイルスのパンデミックにより、3月にセンバツが消滅。5月には夏の甲子園の中止も正式に決まったことで、代表校を決める地方大会もなくなったからである。
岩井が恨めしそうに言う。
「センバツの代表権を取れて、『さぁ、ここからチームを締めていこう』ってやる気を出していた矢先の中止でしょ。悲しんでいる子供たちを見たら、怒れないですよ。夏もそう。『甲子園はなくなったけど、なんとか独自大会をやらせてあげたいな』って気持ちのほうが強かったもんですから、そういう環境でやってきた2年生――今年の3年生も、やっぱり気が緩んだままになってしまいますよね」
「キャプテンを途中で代えるなんて、これまでなかった」
同情とは少し違う。岩井はできる限り選手と同じ目線でいようとした。故に、どうしても慮ってしまう自分がいる。
秋も県大会準々決勝で敗退してセンバツ出場権を失い、春は県準優勝、関東大会ベスト8と最低限の成績は残したが、「優勝」という成功体験は得られていない。それでも、岩井は「経験が浅いチームだから」と、選手たちに多くを望まなかった。
「本当はまだ未熟なのに、大人扱いしてしまったところはありましたよね」
岩井が心情を明かす。
選手を大人扱いしてしまった。その例として、夏の大会直前に主将を代えたことがあると、指揮官は振り返っている。