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あの日、萩野公介と瀬戸大也はなぜ“幸せ”だったのか? 苦しみ抜いた“永遠のライバル”が「水泳大好き少年」に戻るまで 

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田坂友暁

田坂友暁Tomoaki Tasaka

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photograph byJIJI PRESS

posted2021/08/13 11:04

あの日、萩野公介と瀬戸大也はなぜ“幸せ”だったのか? 苦しみ抜いた“永遠のライバル”が「水泳大好き少年」に戻るまで<Number Web> photograph by JIJI PRESS

7月30日、東京オリンピック競泳男子200m個人メドレー決勝を終え、笑顔を見せた萩野公介と瀬戸大也

「萩野君はすごいなぁ」では終わらなかった幼少期

 幼少期、先に頭角を現したのは萩野だった。小学6年生のときには10個もの日本学童記録を更新する、まさに怪童だった。

 そんな萩野をずっと見上げてきたのが、瀬戸だった。「萩野君はすごいなぁ」で終わるのが一般的なスイマーであったとしたら、瀬戸は違った。萩野に勝ちたい。その一心で練習に取り組んだ結果、中学2年生でその目標を達成するのである。

 萩野は瀬戸に敗北したことで、さらに練習に打ち込むようになった。右膝半月板損傷という故障も乗り越え、萩野は中学3年生時の全国中学の200mと400m個人メドレー2種目を中学新記録(当時)で制して復活を遂げる。どちらも瀬戸との差は1秒もない接戦を制しての勝利だった。

常に互いを向上させ続けてきた

 高校に入っても、瀬戸と萩野の戦いは続く。萩野が高校1年生で国際大会デビューを果たすと、瀬戸はインターハイで日本一に輝く。ともに順調に記録を伸ばし、ロンドン五輪候補にまで登り詰めていたが、その切符を手にしたのは萩野だけだった。

 瀬戸はロンドン五輪の選考会を兼ねた日本選手権の直前、インフルエンザにかかってしまい詰めのトレーニングができなかった。その影響は大きく、200m、400m個人メドレーともに3位となってしまった。

 対して萩野は、400m個人メドレーでは当時の日本記録、200m個人メドレーは当時の高校記録を更新して、日本選手権をはじめて制覇。世界の舞台へと羽ばたいていったのである。

 そのロンドン五輪は言わずもがな。400m個人メドレーで銅メダルを獲得。アメリカの水の怪物と呼ばれたマイケル・フェルプスの前を泳いだ、唯一の日本選手となった。

 日本選手権後、くすぶっていた瀬戸だったが、萩野の銅メダルを見て『公介があんなに頑張っているのに、自分は何をやっているんだ』と奮起。同年のインターハイ(新潟)の200m個人メドレーでは自己ベストを更新して2連覇。400mでも優勝を飾ってこちらは3連覇を成し遂げた。さらに岐阜国体では、凱旋を果たした萩野を破って4分10秒10の自己ベストを更新し、萩野が五輪でマークした日本記録には及ばなかったが、4月の日本選手権の優勝タイムを上回るまでに記録を伸ばした。

 勢い付いた瀬戸は、得意の短水路で行われている、12月の世界短水路選手権(トルコ・イスタンブール)の400m個人メドレーで3分59秒15をマークして世界一の称号を手に入れた。

 2012年は、萩野と瀬戸の名を世界に知らしめた最初の年になったのである。

【次ページ】 2人が「純粋な水泳大好き少年」に戻った日

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