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あの日、萩野公介と瀬戸大也はなぜ“幸せ”だったのか? 苦しみ抜いた“永遠のライバル”が「水泳大好き少年」に戻るまで 

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田坂友暁

田坂友暁Tomoaki Tasaka

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photograph byJIJI PRESS

posted2021/08/13 11:04

あの日、萩野公介と瀬戸大也はなぜ“幸せ”だったのか? 苦しみ抜いた“永遠のライバル”が「水泳大好き少年」に戻るまで<Number Web> photograph by JIJI PRESS

7月30日、東京オリンピック競泳男子200m個人メドレー決勝を終え、笑顔を見せた萩野公介と瀬戸大也

2020年に開催されていたら、瀬戸は間違いなく…

「ひとレースひとレース、これが最後のレースになるかもしれないという思いがあって。不安もすごくあったんですけど、今ある力で、今の100%のできることをやりたいと思います」

 瀬戸は苦しんでいた。この種目で金メダルを獲る、と臨んできた400m個人メドレーで予選落ちしたばかりか、200mバタフライでも準決勝敗退。やるべきことはすべてやってきたはずなのに、なぜ結果が出せないのか。そんな思いが渦巻いていたことだろう。

 2020年、予定通りに東京五輪が開催されていたら、瀬戸は紛れもなく世界の頂点に立っていた。2019年のFINA世界選手権(韓国・光州)で200m、400m個人メドレーで2冠を果たして以来、400m個人メドレーでは短水路の世界新記録を樹立するなど、世界の誰も近づけないほどの無双状態になっていた。

 だが、自分がまいた種とはいえ、2020年9月以降は活動自粛を挟み、その後も自分を取り巻く環境は大きく変化していった。

 そんな状況下でも浦瑠一朗コーチをはじめとする首脳陣に支えられ、励まされながらトレーニングを続け、五輪の舞台に立てる泳ぎを作ってきたつもりだった。それなのに、東京五輪の神様は、瀬戸に決勝で泳がせることをしなかった。

がむしゃらな自分らしさ

 そんな瀬戸が大きく変わったのは、200m個人メドレーの準決勝だった。今までのように、どこか力を温存するような泳ぎではなく、すべてを出し切るような“攻める”瀬戸らしい泳ぎが戻っていた。絶好調とはほど遠いかもしれないが、気持ちが入ったレースだった。

 そんな瀬戸らしいレースができるようになったのは、間違いなく萩野が横にいたからだ。どんなときも、いつも瀬戸の近くに萩野がいた。国内でも、世界大会でも、五輪でも。萩野というライバルが、どれだけ自分を奮い立たせ、安心させてくれる存在なのか。それを準決勝のレース前に感じていたことだろう。

 がむしゃらに頑張ってきた幼少期を思い出した。萩野に近づきたくて、萩野を超えたくて、必死に努力してきた自分を思い出した。だから、どこか斜に構えてきた自分を捨てることができた。水泳が好きで、萩野と切磋琢磨することが大好きで、最高峰の舞台で萩野と一緒に戦えることが最高に楽しいと思える自分。そんな純粋な瀬戸が、200m個人メドレーのときに帰ってきたのである。

【次ページ】 「萩野君はすごいなぁ」では終わらなかった幼少期

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