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「これほど多くの犠牲を払ったランナーは…」30歳大迫傑は“濃すぎる4年間”で日本男子マラソン界をどう変えた?
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph byNanae Suzuki
posted2021/08/07 11:04
東京五輪を前に、自身のTwitterにて“事実上のマラソン引退”を発表した大迫傑
記録の向上は、シューズなどのギアの進化も大きな要因ではあるが、2017年以降、日本歴代10傑はがらりと入れ替わり、日本記録も2018年に設楽悠太(Honda)が16年ぶりに更新したのを皮切りに、その後大迫が2度塗り替え、今年2月には鈴木健吾(富士通)が2時間4分56秒にまで押し上げた。
「傑がアメリカに渡ることを選んだのは、自分自身だけのためではなく、日本陸上界のレベルを上げるために決断したことだと思っています」
以前、コーチのジュリアン氏はこんなことを言っていたが、実際、日本マラソン界の発展に果たした大迫の貢献度はかなり大きなものがあっただろう。
偉大な功績に隠された“異常な練習量”
一見すると、この4年間は大迫が思い描いた通りの道筋を順調に歩んできたようにも見えるが、その陰には、底知れぬ努力があったことは言うまでもない。
大迫のYouTube内でジュリアン氏はこんな言葉を口にしている。
「私はこれまで、これほど多くの生活上の犠牲を払ったアスリートをコーチする機会に恵まれたことはありません」
早大卒業後にアメリカに渡り、世界のトップ級の実力者のみが加入を許されるナイキ・オレゴン・プロジェクトで揉まれたのも、MGCで3位に終わった後に2カ月半に及ぶケニア合宿を敢行したのも、より強くなるための選択だった。大迫は、常に自らを厳しい環境に置き、努力を重ねて目標に到達したのだ。
大迫と練習を共に行なったことがあるランナーは、異口同音にその練習量への驚きを口にしている。勝手な想像だが、大迫の中では早い時期に、東京オリンピックを競技者人生の集大成とするという決意を固まっていたのかもしれない。だからこそ、自らをそれほど追い込むことができたのではないだろうか。
「次があるっていう言い訳を強制的になくしたくて、この大会をゴールにしました。このレースで終わりなんだって決めた今、自分の持てる全ての力を出し切れる気がしています」
「スタートラインに立った時点で1つの勝利」
非公認ながら人類史上初めての2時間切りを成し遂げたエリウド・キプチョゲ(ケニア)、ドーハ世界選手権金メダリストのレリサ・デシサ(エチオピア)ら世界の強豪を相手にメダルを獲るのは簡単なことではないのは重々承知しているが、それでも覚悟を決めた大迫には期待したくなる。大迫なら、何かやってくれるのではないか、と。