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転向を勧められても、高校総体に団体がなくても…「日本人には難しい」フェンシング団体エペで金メダル、“2つの原動力”とは
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byTakuya Matsunaga/JMPA
posted2021/07/31 17:03
フェンシング男子団体エペで金メダルを獲得した日本代表。(左から)宇山賢、山田優、加納虹輝、見延和靖が成し遂げた偉業はあまりに大きかった
エペとフルーレ、五輪の成績が競技人口にも影響していた
原動力は2つあった。1つは見延の団体戦への思いだ。リオで入賞を果たしたものの、大会を終えて感じたのは、エペ男子はたった1人だけの出場であった我が身と、団体を戦う海外の国との違い。
「東京五輪では団体戦も、そして活躍を」
機会があればそう語ってきた。そして、強い個を持つ選手たちを束ねる役割を大会前から担ってきた。
もう1つは、自分たちが打ち込んできたエペを知らしめるという思いだ。
見延はかつて、フルーレへの転向を勧められたことがある。それはフルーレを優先的に考える当時の日本の状況を示していたが、見延自身、フルーレとエペからエペを選択し打ち込んできた選手。自身が取り組む種目に思い入れがある。
それは他のメンバーも同じだ。エペに対する誇りがある。
ただ、日本ではどうしても、これまでのオリンピックでの成績から、フェンシングと言えばフルーレの印象が強いのは否めない。それが競技人口にも反映され、例えば、高校総体で実施される団体戦はフルーレしかない現状がある。
今大会を前に、山田は言った。
「これからはエペの時代にしたいです」
打ち込んできた種目への誇りと意地と、日本フェンシングの未来のために戦った4人は、新たな歴史の幕を開けた。
笑顔で喜ぶ4人は、大仕事をやってのけた。
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