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瀬戸大也の“突然の復調”はなぜ起きたのか? 「苦しい生活になると思うけれど、食らいついて生きていきたいです」 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byAsami Enomoto/JMPA

posted2021/07/31 11:04

瀬戸大也の“突然の復調”はなぜ起きたのか? 「苦しい生活になると思うけれど、食らいついて生きていきたいです」<Number Web> photograph by Asami Enomoto/JMPA

200m個人メドレーで4位入賞を果たした瀬戸大也。400m個人メドレーでのまさかの予選落ちから数日、大きな注目を集め続けてきた

 200m個人メドレーの予選でもやはり本来の泳ぎができず辛うじて準決勝に進んだあと、1つの言葉をおくられていた。4泳法のうち、最初に泳ぐバタフライについてのアドバイスだ。

「半バタ(50mバタフライのこと)みたいだ。あれではもたない。もっと落ち着いたほうがいい」

 言葉の主は、小学5年生から昨春まで瀬戸を指導した梅原孝之コーチだった。瀬戸はオリンピックの1年延期が決まったあと、「同じことをやるより違ったアプローチで進みたい」と梅原コーチのもとを離れた。その後、同じスイミングクラブに通っていた高校の同級生をコーチに迎えていた。今大会、苦しみ続ける瀬戸の姿に、子供の頃から世界チャンピオンになるまで指導してきたコーチがおくったアドバイスだった。

最初の予選落ちが大きく影響している

 準決勝当日の朝も、梅原コーチをはじめ他の日本代表コーチも加わり、どう泳ぐかを確認、前半を抑えて後半に勝負することを決めた。

 迎えた準決勝では3番目の平泳ぎでペースを上げ、自己ベストの泳ぎを見せる。結果、全体3位で決勝に進んだ。メダルには届かなかったが準決勝と決勝で、これまでの2種目にない泳ぎを披露できた要因だ。

 その変化も踏まえつつ、再度大会を振り返れば、400m個人メドレーでの予選落ちが大きく影響したのは否めない。

「信じられません」と瀬戸はレース後に口にした。6月からの長野県内での高地トレーニングは順調に進められたことから自信を深めていただけに、衝撃は大きかったろう。

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