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あだ名は白豚、髭愛好家…“井上康生以来の金メダリスト”25歳ウルフ・アロンが「負けない柔道家」になるまで 

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佐藤俊

佐藤俊Shun Sato

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posted2021/07/30 17:05

あだ名は白豚、髭愛好家…“井上康生以来の金メダリスト”25歳ウルフ・アロンが「負けない柔道家」になるまで<Number Web> photograph by Getty Images

2000年シドニー五輪の井上康生(現男子日本代表監督)以来となる男子柔道100kg級金メダリストとなったウルフ・アロン

 東海大には高校時代の一つ上の先輩でリオ五輪に出場したベイカー茉秋ら質が高い選手が多数いる。その中で常に勝つためにはどうしたらいいのか。選手にはそれぞれ得意な組手がある。異なる個性を持つ相手に対して、どう対抗していくのか。そういうことを考えた方が試合に勝てるのではないか。そうしたことをウルフは試合から学んでいった。

「どうやったら勝てるかよりも、どうやったら負けないかを考えた方が負ける可能性を減らせると思ったんです。相手が、どういう特徴を持っているのか、何が強くて、何が弱いのか。ひとりひとりの対策をしっかりと練ってから試合に臨むようにして、負けない柔道家を目指すようになりました」

 ウルフが負けないことにこだわるようになったのは、柔道の持つ競技性にもある。柔道は投げられてしまうと一瞬で試合が終わってしまう。そういう意味では、投げられない柔道家が強いということになるが、そのために相手の技や癖など、事前に研究し、対策をしていくことが重要になる。

「負けない柔道家」になるために、ケガも乗り越えてきた。

20年東京五輪のために半月板を切除

 18年1月には左膝の半月板を損傷し、3カ月間のリハビリ生活を強いられた。19年12月には右膝の半月板を損傷。当時、20年開催予定だった東京五輪に間に合わせるために縫合手術ではなく、半月板を切除した。そのために膝が緩くなったり、痛みが出たり、ウルフの柔道のスタイルにも変化が求められた。

「今までの自分の体とは同じではないので、そこに慣れていくのが大変でした」

 右膝が内側に入りやすくなったので部分的な強化をずっと続けてきた。ケガの怖さを克服するためには練習しかないと、がむしゃらに量をこなした。そうしていく中でスタミナがつき、動きにキレが戻ってきて、怖さも消えていった。大会前は8キロも体重が増えていたが、栄養士と相談しながら体に負荷がかからないように数カ月をかけて減らしていった。

ウルフアロンの素顔「髭は格好いいと思うんですよ」

 ウルフは、柔道に愚直に向き合い、考え、多くの時間を勝つために割いてきた。そのせいか、普段のウルフは本人曰く「ちょっと適当」だという。

 柔道の練習時間や練習内容は絶対に忘れないが、物忘れがひどく、LINEの返信は忘れることも多い。約束の時間にもちょくちょく遅れる。「柔道以外のことに関心が持てないんですよ」とウルフは言うが、おしゃれにはこだわりがある。昨年、コロナ禍で練習がない時は髭を伸ばし、普段も試合がない時はイタリアのイケメン男子風に髭を整えていた。

【次ページ】 チョグハムとの激闘の後には…

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