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あだ名は白豚、髭愛好家…“井上康生以来の金メダリスト”25歳ウルフ・アロンが「負けない柔道家」になるまで
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byGetty Images
posted2021/07/30 17:05
2000年シドニー五輪の井上康生(現男子日本代表監督)以来となる男子柔道100kg級金メダリストとなったウルフ・アロン
「相手がゴールデンスコアありきでくるようになって攻めてこなくなった。そうなると相手も疲れないので戦いが難しくなる」
そこでウルフは戦い方を改めた。早めに勝負を決めることを理想として、その流れの中でゴールデンスコアに入るのであればそこで勝負を決めるというスタンスに変えた。スタンスは変えたが、ゴールデンスコアでの勝負が弱くなったわけではなく、武器として持ち続けていた。それが今回の決勝戦の土壇場で活かすことができたのだ。
日本柔道史上初の「カタカナの金メダリスト」に
こうしてウルフ・アロンは、日本柔道史上、初めてフルネームがカタカナの金メダリストになった。
「全日本で優勝した時、僕が初めてのカタカナの名前の優勝者だった。日本の柔道界の歴史に名を刻むということで、かなり特別なことだと思います」
子どもの頃からカタカナの名前で、周囲の子とは異なることを自覚しつつ、「特別感があっていいかな」とポジティブにとらえていた。成長するにつれ、外見で判断されて外国人に道などを尋ねられ、英語が分からず困惑することが増えた。
ただ、父の英語だけは理解できた。
「音として雰囲気で聞いていたせいか、なぜか理解できて。不思議ですよね」
その父からはいつものように英語で祝福され、ウルフは日本語で答えるのだろう。
大会前、金メダルのご褒美は「おいしいお酒」。もうひとつは、高級車を持っているが、燃費が悪く、ガソリン代が高いので新たに練習に行くための普段使いできる車が欲しいとのこと。
そして、「負けない柔道家」は、燃え尽きるまで現役を続けていく。
「将来もずっと柔道に関わっていきたい」
東京五輪での金メダルは、その約束手形になった。