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《消えた天才》14歳10カ月でプロデビューしたフレディ・アドゥーは、いま何をしているのか? スウェーデン3部のチームもクビになり…
text by
マキシム・オバンMaxime Aubin
photograph byL’Équipe
posted2021/07/28 17:00
14歳10カ月でプロデビュー。「天才少年」ともてはやされ、ペレともよく比較された少年時代のアドゥー(左)
「彼はこのシーズンに5ゴールをあげ、DCユナイテッドはリーグ優勝を遂げた。14歳の少年にとっては大きな成功だが、得点が少なく、まるで挫折であるかのように見なされた」
昨年11月にスポーツのポッドキャストであるブルーワイヤーで『アメリカン・プロディジー(アメリカの神童)』を発表したワールによれば、アドゥーをめぐる物語は尽きることがない。挫折はスポンサーや企業だけでなく、MLSにも責任の一端があると彼は指摘する。当時のMLSは財政的に困窮しており、リーグ所属チームの数を12から10に減らしたばかりだった(現在は27クラブが所属)。
「MLSは今日のように安定しておらず基盤も脆弱で、破産の一歩手前と言える状況だった」とワールが語る。
「フレディはそんなときに現れた救世主だった。彼の出現で、MLSはリーグを成功へと導く選手を手に入れた」
プロ契約を結んだ後、MLSはアドゥーと家族を説得して、大々的なキャンペーン活動をニューヨークでおこなった。膨大な数のインタビュー取材とテレビ出演がアドゥーを待ち受けており、彼はそのすべてをこなしていった。
「あらゆるメディアや企業が彼を取り上げようとした。メディアへの露出が彼のフルタイムの仕事になってしまった」とワールが説明する。
サッカー選手らしからぬ日々
MLSはアドゥーに専属マネージャーを割り当てた。広報活動を取り仕切ったキャリー・ゴールドバーグが当時を振り返る。
「毎日20~30回、電話やメールで連絡を取り合った。私の使命は彼がひとりの若者として暮らしていけるように配慮することだった。だからたとえばパパラッチには注意を払ったし、契約しているスポンサーにも配慮した」
通常のプロサッカー選手とはかけ離れた生活である。
「メディアとともに過ごす時間が多くなりすぎて、十分に練習できなくなってしまった」とワールがつけ加える。
2003年から05年にかけて、メディアによるアドゥーフィーバーが続いた。膨大な量の記事が書かれ、そのうちの十数本はグラント・ワールによるものだった。それではワールは、自身の責任をどう感じているのだろうか。