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《消えた天才》14歳10カ月でプロデビューしたフレディ・アドゥーは、いま何をしているのか? スウェーデン3部のチームもクビになり…
text by
マキシム・オバンMaxime Aubin
photograph byL’Équipe
posted2021/07/28 17:00
14歳10カ月でプロデビュー。「天才少年」ともてはやされ、ペレともよく比較された少年時代のアドゥー(左)
「アメリカに留まることで、サッカーにおいて合衆国最大のスターになるという大きな野心が彼の周囲にはあった」
それから18年がたち、アドゥーはいまだにその地位を確立してはいない。MLSはもちろんポルトガルやモフランス、ギリシャ、トルコ、ブラジル、セルビア、フィンランド……。世界中を放浪し、遍歴を重ねたが成功を収めることはなかった。しばらく前は所属先もなく、経済的にも困窮した。アメリカサッカー期待の星は、なぜここまで堕ちてしまったのか。
スポーツイラストレイティッド誌のレポーターとして、ワールはアメリカにおけるアドゥーフィーバーを最初に伝えたひとりである。2004年のはじめにワールは、ナイキの創始者でオーナーでもあるフィリップ・ナイトのロングインタビューを敢行した。このときナイキは、アドゥーと100万ドルの広告契約を交わしたばかりだった。ワールが当時を振り返る。
「ナイトは私に驚くことを言った。フレディならレブロン・ジェームズやマイケル・ジョーダン、さらにはタイガー・ウッズすら上回る偉大な選手になり得ると。ジョーダンのバスケットやウッズのゴルフは、スポーツとしての人気がすでに確立しているがサッカーはそうではない。彼はフレディを、サッカーをメジャースポーツに引き上げる力を持った、将来のスーパーヒーローと見なしていた」
スターシステムの発動
ナイトの言葉はアドゥーに大きなプレッシャーを与えた。同時にそれは、もうひとつの現実とはかけ離れていた。ワールが解説する。
「フレディの契約額は、もうひとりの若きスーパースターだったレブロン・ジェームズが、17歳でナイキと結んだ8700万ドルに比べあまりに少額だった。わずか100万ドルという額に、ナイキは本気でフレディに期待しているのかという疑問を誰もが抱いた」
ペプシも若きアドゥーに期待を寄せた。2004年3月、チャーター便を手配したペプシは、《サッカーの王様》ペレをアメリカに招待した。フロリダ州タンパでスポットCMの収録に参加したペレは、アドゥーの兄の役として彼の前でリフティングを披露した。そこにはひとつのメッセージが込められていた。ペレ自身による「君こそ私の後継者だ」というメッセージである。
「このCMは、フレディのDCユナイテッドでのデビュー数日前に大々的に流され、彼に計り知れない悪影響を与えた」と、ワールが回想する。