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「批判される側だったのがリスペクトに変わった」BMXのトップ選手が語る、恐怖心を超えて“やばい技”に挑むワケ 

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矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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photograph byShuji Goto

posted2021/06/17 17:00

「批判される側だったのがリスペクトに変わった」BMXのトップ選手が語る、恐怖心を超えて“やばい技”に挑むワケ<Number Web> photograph by Shuji Goto

BMXの世界の第一線で活躍し続ける内野洋平(左)と高木聖雄。勝つだけではない、競技の魅力とは

水泳とモーグルで言い訳を作っている自分がいやだった

 BMXをやる子供がどんどん増えてほしい。そのためにも、憧れられる存在になりたい。そう考えている中村が長い間「目標」として見つめてきたのが、フラットランドの第一人者である内野だ。

「BMXだけで食べている人は僕たちの方(フリースタイル・パーク)にはいなくて、フラットのウッチーさんがBMXで食べていた。種目は違うのですが、ウッチーさんを見て、僕もBMXだけでご飯を食べていきたい、ウッチーさんのようになりたいと思っていました」

 内野は1982年、兵庫県生まれ。幼いころから水泳に打ち込み、スキー・モーグルにも力を入れていた。けれども、水泳では体格の壁を、そしてモーグルでは幼いころから雪と親しんできた地域の選手には勝てないという壁を感じていた。

「水泳もモーグルも挫折しました。でも、言い訳を作っている自分がいやだった。言い訳できない競技をしたいと思っていました」

 その時に出合ったのがBMXフラットランドだった。高校のクラスメートと一緒に見に行って衝撃を受けた。

「それまで自転車は乗るものであって、操るものという感覚はなかったのですが、自分の手と足のように操っていた。服装もすごくかっこよかった」

 それから実に21年。この間、「世界一になりたい」という目標は11回もかなえた。「気づいたらここまできていた」と笑う。

魅力は、はみ出し者が輝けるところ

 中村と同じフリースタイル・パークのプロライダーである高木聖雄は、1989年、岐阜県に生まれた。

 中学生の頃から自転車が好きで、最初にはまったのは砂利道を全力で走ってブレーキをかけ、ドリフトをするという遊び。それが高じて自前のジャンプ台を作ると、今度はママチャリでジャンプを繰り返す毎日を過ごした。ある日、壊れたママチャリを修理に持って行ったバイクショップでBMXを紹介された。

「中学生の頃の僕は集団に入ると浮く方で、BMXをやっていることも隠していました。僕が感じるBMXの最大の魅力は、僕のようなはみ出し者が輝くというところです」と言う。

 それを感じたのはひそかに練習していたBMXが上達したある日、パークに行って技を繰り出した時だ。見ていた友だちや周りの人が『すごい』『やばい』『こんなことができるんだ』という目つきに変わった。

「パークで僕が乗ったらみんながイエーイ!と盛り上がる。その時、俺はこれをやりたいなと思ったんです」

【次ページ】 「他の選手がやばい技を決めたら、走って祝福します」

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