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“18回敗れた男”福永祐一と3勝2敗“勢いのない”ワグネリアンは3年前の日本ダービーをどう制したのか?
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph byKiichi Matsumoto
posted2021/05/31 19:15
2018年、福永祐一をダービージョッキーに導いたワグネリアン。人馬一体となったドラマこそ、人の胸を熱くする。
友道調教師と福永の厚い信頼関係。
日本ダービーで戦列復帰したダノンプレミアムが1番人気に推されたのとは対照的に、頂上決戦前に勢いを失ったかと思われたワグネリアンは5番人気と支持を落とした。
しかし、陣営は虎視眈々と巻き返しの策を練っていた。
「皐月賞の時はテンションを気にし過ぎて調教が軽めになってしまいました。それを踏まえ、今回は悔いが残らないようにしっかりと負荷をかけました」
指揮官である友道はそう語った。その想いをしかと感じていたのが福永だ。
「厩舎が一丸となりしっかり仕上げてくれているのは分かっていました。それでいて当日の馬体重は前走比マイナス2キロだけだったので、良い感じだと思いました」
福永は友道のことを「飄々としている」と言う。調教師だからといって騎手のことを上から抑えつけていない風通しの良さが窺える表現だ。そして「サクラメガワンダーの頃から乗せてもらっている」と続ける。
恩人のおかげで挑めたダービー。
福永が同馬の主戦となったのは2008年から。鳴尾記念を勝つと09年には金鯱賞を優勝、GI宝塚記念でも2着に好走した。
その頃といえば福永にとっては師匠の北橋修二や師匠同様に全面的サポート体制を敷いてくれていた瀬戸口勉といった調教師が次々と厩舎を解散した時期。ありていに言えば福永にとって苦しい時期であり、そんな時に支えてくれた1人が友道だったわけだ。
そんな恩人と言って良い人の馬で挑んだダービーである。いや、乗り替わりの激しい今の時代を思えば、“挑むことができた”ダービーと言って良いのかもしれない。福永の胸に期するものがあったことは容易に想像できる。
「悔いの残らない競馬をしたかった」という福永はスタートから出して行った。外枠(17番)から出して行けば掛かる可能性もあったが、後方のまま脚を溜め過ぎて負けることはしたくなかったのだろう。積極的に出して行った。