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“18回敗れた男”福永祐一と3勝2敗“勢いのない”ワグネリアンは3年前の日本ダービーをどう制したのか?
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph byKiichi Matsumoto
posted2021/05/31 19:15
2018年、福永祐一をダービージョッキーに導いたワグネリアン。人馬一体となったドラマこそ、人の胸を熱くする。
「福永家の悲願をついに達成できました」
そのためパートナーは一瞬行きたがる素振りを見せたが、次の刹那、うまく前に馬を置くと折り合った。4コーナーから直線では「有力馬に内を突かれることはないように」と厳しい手綱捌きをみせ、ライバル達を封じた。ベテランらしい騎乗ぶりではあったが、最後の追い比べに関して本人は「デビュー戦の時よりも無我夢中で必死に追った」と語る。
その結果、粘り込みを図る皐月賞馬エポカドーロを半馬身捉え、栄光のゴールへと飛び込んだ。
「福永家の悲願をついに達成できました」とは福永の弁だ。
父・洋一は一時代を築いた天才リーディングジョッキー。デビュー3年目の1970年にリーディングを獲得すると以後'78年まで9年連続でその座を死守。10年連続へ向けトップを独走していた'79年に落馬で大怪我を負い、騎手生命を絶たれた。
そんな天才をしても勝つことが出来なかったのが日本ダービーだった。7度挑戦したが、その度に跳ね返され、「最も勝ちたいレース」と口にしていたという。
父・洋一と同じく味わったダービーの壁。
そして、ダービーの高くて厚い壁は、息子の祐一にも同様に立ちはだかった。
デビュー3年目でまだGIも勝っていない'98年、キングヘイローで初めて挑んだ。「頭が真っ白になった」と語る若き二世騎手は本人をしても思いもしなかった逃げの手を打ってしまい馬群に沈んだ。
'03年にはエイシンチャンプで挑んだが10着。皐月賞に続き先頭でゴールに飛び込んだのは元々彼のお手馬だったネオユニヴァースだった。
'07年には14番人気のアサクサキングスを2着に好走させたが、通常の年ならいないであろう牝馬のウオッカに、大仕事を持っていかれた。