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ジョコビッチが34歳に 爆撃跡で練習、クラシック音楽を聞かせる……ユニークすぎた“テニスのお母さん”とは?
text by
山口奈緒美Naomi Yamaguchi
photograph byGetty Images
posted2021/05/22 11:02
本日5月22日はノバク・ジョコビッチの34回目の誕生日だ
ジョコビッチのプロフィールにはベオグラード出身とあるが、テニス人生始まりの場所はそこから300キロ近く離れたコパオニク──スキーリゾートで有名な山里だった。両親はこの地でレストランやアートギャラリーなどの小さなビジネスを行ない、一家はスキーシーズンとサマーシーズンをそこで過ごしたという。その近くにあったテニスクラブでコーチをしていたのがゲンチッチで、コートのようすをフェンス越しに熱心に見つめていた少年がジョコビッチだった。
かつて元女王モニカ・セレスやウィンブルドン・チャンピオンのゴラン・イバニセビッチの子供時代を指導した実績も持つゲンチッチは、当時5歳だったジョコビッチをクリニックに誘い、すぐにその才能を見抜いたという。両親のもとを訪れ、「あなた方は金の卵を授かりましたよ。17歳までにこの子は世界で5本の指に入るテニスプレーヤーになるでしょう」と伝えた。
それからジョコビッチ家では全てが長男ノバクを中心に回り始めた。親戚も稼いだ金をノバクのために使った。こういった話はテニスプレーヤーの生い立ちをたどる中でときどき耳にするが、戦禍に巻き込まれた90年代のセルビア、当時のユーゴスラビアの状況を思えば、その生活の厳しさは想像を絶する。
「もう狙われないでしょう?」練習は爆撃跡地で
1999年3月、ジョコビッチが11歳のとき、コソボ紛争にNATOが介入して空爆が始まった。ベオグラードはもちろん、コパオニクも標的となり、ジョコビッチ一家のリゾートでの生活は1998年が最後となった。
こんな逸話がある。2カ月半にも及んだ空爆の日々、ゲンチッチは攻撃を受けたばかりの場所をいつも選んで子供たちを連れて行き、テニスをした。そこが一番安全だと判断したからだ。
「一度爆撃を受けて破壊されたところは、もう狙われないでしょう?」
恐怖や悲しみに満ちた廃墟で子供たちに夢を抱かせ続けた女性コーチの真の偉大さにジョコビッチが気づいたのは、ずっとあとだったかもしれない。しかし、あの類い稀なハングリー精神はそこからすでに宿っていたに違いない。
ゲンチッチの指導方法はユニークだった。チャイコフスキーを聴かせ、プーシキンの詩を読ませたという。豊かな感性を養わせ、湧き上がるアドレナリンの正体を文学や芸術から学ばせた。テニス界一の読書家とも言われるジョコビッチの知性と機知のルーツもここにあったのだ。
「テニスで成功すれば世界中の女の子が……」
空爆の翌年、ゲンチッチの助言でジョコビッチはドイツへテニス留学する。ユーゴスラビアの元プレーヤーだったニキ・ピリッチが経営するアカデミーのキャンプで、ある時期をともに過ごしたラトビアのエルネスツ・グルビスは当時のジョコビッチについてこんなエピソードを語ったことがある。