ラストマッチBACK NUMBER
<現役最終戦に秘めた思い(15)>杉山愛「最後の夜に訪れた不思議な感覚」
posted2021/05/19 08:00
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
KYODO
17年間の長きに渡ってラケット片手に世界中を転戦した。最後の試合を終え、家族とディナーの席に着いたその時、かつて経験したことのない“ある感覚”に包まれたという。
2009.10.3
東レ・パンパシフィックオープン
ダブルス 決勝
成績
A・クレイバノワ、F・スキアボーネ 2-0(6-4、6-2) D・ハンチュコワ、杉山愛
すべてが終わったのは土曜日の午後だった。2009年10月3日、杉山愛は東レ・パンパシフィックオープンの最終日を飾るダブルス決勝のコートに立っていた。自らラストゲームに選んだ舞台である。
小型モーターを内蔵しているかのようなフットワークと、定規で線を引いたような小気味のいいストロークを18ゲームのあいだ惜しみなく披露した。その末に敗れると、観衆に手を振り、有明コロシアムを去った。
《いつもなら週末には次のトーナメントがある都市へバタバタと移動するのですが、そうする必要がなくて、ほっとしたというか、体がいつもと違う感じでした》
急に時間がゆったりと流れているように感じられた。
杉山は宿泊していた東京湾沿いのホテルに戻ると、20年近い競技生活をともに戦ってきた母と、6つ離れた妹とディナーを囲むことにした。レストランに入り、用意された椅子に腰をおろした、その瞬間のことだった。
《それまでずっと頭のどこかで次の試合のことを考えてきましたけど、そうする必要がなかったので体を完全に脱力することができました。自分が、椅子と一体化してしまったんじゃないかという気がしました》