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JRA騎手からパラ馬術へ転身の高嶋活士が騎乗のコツを「力まない」と語るも、松岡修造は「僕に一番向いてない」 

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松岡修造

松岡修造Shuzo Matsuoka

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photograph byYuki Suenaga

posted2021/05/30 11:00

JRA騎手からパラ馬術へ転身の高嶋活士が騎乗のコツを「力まない」と語るも、松岡修造は「僕に一番向いてない」<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

高嶋活士選手とパートナー馬ケネディを見守る松岡さん。馬に感じさせないよう力を使う姿に驚くばかり

ケネディとは対等な関係で持ちつ持たれつ

松岡:皮膚が武器になるんですね! 動物と一緒に行う競技ならではだと思いますが、ケネディに最初に乗ったときのフィーリングはどうでした?

高嶋:4年前に初めて乗せてもらって、はじめからすごくフィーリングが合いました。僕、競馬をやっていたので元気よく動いてくれる馬が好きなんです。ケネディも気持ち良さそうでした。馬術では人馬がお互い気持ち良く運動できてハッピーなことが一番大切です。

松岡:活士さんにとって、ケネディはどんな存在ですか?

高嶋:本当にいい仕事のパートナーであり、家族の一員です。だから対等な関係で持ちつ持たれつでやっています。例えば練習のとき、「ちょっともう、俺は疲れてる」ってこの子が言ってくると、「わかったよ。でも、もうちょっと頑張ろうか」となだめたり。実はさっきの練習でも、最後の方は口元に「ちょっと疲れたよ」というのが出ていました。

松岡:僕などは、馬は動物という見方をしていますが、活士さんは違うんですね。怖いと感じたことはないですか?

高嶋:確かに馬を扱うには危ないこともあります。でも、ちゃんと理解してあげれば怖いことはありませんよ。そろそろ暖かくなってハエが増えてくると、体にまとわりつくハエを追い払おうとして馬が後ろ足を蹴り上げる動作が多くなるんですけど、それも馬の細かな皮膚の動きで蹴る瞬間がわかるようになります。

(構成:高樹ミナ)

#2 松岡修造も戦慄…「生きていくのに必要ない記憶」高嶋活士が語るパラ転身の契機となったJRA時代の落馬事故の経緯 に続く

#3 高嶋活士が語る競馬と馬術の騎乗の大きな違い…「馬と共にもっと気楽に楽しく」に修造が共感する に続く

高嶋活士(たかしま・かつじ)

1992年12月2日、千葉県生まれ。2011年にJRA騎手としてデビュー。13年2月、障害レース中に落馬事故で脳の3カ所から出血する大けがを負い、右半身に麻痺が残った。2年半に及ぶリハビリの末、15年に騎手免許を返上して引退。JRA通算244戦0勝(うち障害39戦)、最高は2着6回。現役引退直後から馬場馬術を開始し、17年に全日本パラ馬術大会で優勝。20年の全日本では個人、団体の2冠を達成。161センチ、58キロ。愛馬はケネディ・H号。

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