松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
高嶋活士が語る競馬と馬術の騎乗の大きな違い…「馬と共にもっと気楽に楽しく」に修造が共感する
posted2021/05/30 11:02
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph by
Yuki Suenaga
2015年9月にJRA(中央競馬会)の騎手を引退し、翌2016年にパラ馬術へ転向した高嶋活士選手は当初、千葉県にある実家の近くの乗馬クラブに通っていた。その頃、現在の師である照井愼一さんと運命的な出会いを果たす。
そして、照井さんが経営する乗馬クラブ「ドレッサージュ・ステーブル・テルイ」では愛馬ケネディとも出会い、人馬一体で東京パラリンピックを目指すことに。高嶋選手は2016年リオデジャネイロオリンピック馬術日本代表監督も務めた名トレーナーの照井さんのもとで、どのように馬術の腕を上げていったのだろうか?
松岡修造さんのインタビューはいよいよパラ馬術の技術と高嶋選手の内面へと踏み込んでいく。(全4回の3回目/#1、#2へ)
#2 松岡修造も戦慄…「生きていくのに必要ない記憶」高嶋活士が語るパラ転身の契機となったJRA時代の落馬事故の経緯 より続く
競馬の騎乗スタイルからフォーム改善に一苦労
松岡:照井さんとはどのように出会われたんですか?
高嶋:前の乗馬クラブにいたとき、ある乗馬のイベントに参加したんですが、そこにお見えになっていた照井先生を僕の知り合いが紹介してくれました。「照井先生のところで(馬に)乗せてもらったら勉強になるぞ」って。それを聞いて照井先生のところで乗せてもらうようになり、「もっとここで勉強したい」という気持ちになって、千葉から埼玉に練習拠点を移したという流れです。
松岡:それ、よーくわかります。僕も先ほど、活士さんとケネディの練習を見せていただきながら照井さんにいろいろ教えていただいたんですけれども、すごくわかりやすかったですし、乗馬への情熱を感じました。初めてケネディに乗ったときから、「これはいけるぞ!」という感覚があったんですか?
高嶋:相性はいいなと思いましたけど、これはいけるぞとは思わなかったですね。
松岡:先ほど、お互いに気持ち良く動けたっておっしゃっていたのに?
高嶋:ケネディではなく僕の問題で、当時はまだ競馬に近い感覚で乗っていたので、乗り方が派手だったんです。スピードが上がってくると自然と体が前のめりになってお尻が浮いてきちゃって。馬術では背筋を伸ばし腰を張って、どしっと構えなきゃならないのに。
競馬の騎乗フォームは「モンキー乗り」(モンキースタイルともいう)といって、騎手は馬の背中から腰を浮かせ膝を前に出し、前傾姿勢でレースを行う。このモンキー乗りが体に染み付いていた高嶋選手は、競馬とは真逆の馬術の乗馬フォームに改善するのに時間を要した。