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「ピッチには労働者も演技者もいらない」大木武vs安間貴義、師弟対決で響いた時間稼ぎする選手への怒声 

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渡辺功

渡辺功Isao Watanabe

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photograph byJ.LEAGUE

posted2021/05/13 17:01

「ピッチには労働者も演技者もいらない」大木武vs安間貴義、師弟対決で響いた時間稼ぎする選手への怒声<Number Web> photograph by J.LEAGUE

ヴァンフォーレ甲府時代にタッグを組んだ大木監督と安間コーチ(写真は2006年)

 ある選手が「大木さんはカリスマ。安間さんは天才」と言ったことがあったが、劉備と孔明よろしく、ふたりが鍛えつくりあげたチームは、柏レイソルとのJ1・J2入れ替え戦に、FWバレーの“ダブル・ハットトリック”などで快勝。選手・スタッフの人件費わずか2.6億円でJ1昇格を成し遂げると、リズミカルなパスワーク、奪われた瞬間に奪い返しに行くプレス、90分間足を止めないハードワーク……といった、攻守に渡って自分たちから仕掛ける、独創性と先進性に富んだサッカーを披露して、当時の日本サッカー界に新鮮な驚きを与えたのだった。

 2007シーズン、健闘及ばず甲府はJ2降格。その引責をする形で大木は退任、安間とのコンビは3年で終焉を迎えるのだが、両者の親交はその後も続いた。大木が日本代表のコーチを務めているときには、代表戦が終わってしばらくすると「おい、どんな風に見えた?」と、安間の元へ電話が掛かってきたし、安間が指揮を執るチームの試合会場で、大木の姿を見かけることが何度もあった。

 一般的には「師弟」関係になるのだろうが、このふたりについては、それよりも「親友」に近いニュアンス。付き合いは家族ぐるみで「気のおけない」とか「ツーカーの」関係と呼ぶのが、もっともシックリくるだろうか。

 なにせ揃って無類のサッカーマニア。どちらかが遠征で近くに来たとなれば、宿泊先のホテルを訪問。喫茶店やファミレスで、時間を忘れてのサッカー談義が延々と続くのだった。

8年ぶりの直接対決

 2011年に大木が京都サンガの監督に就任してからは、前年途中から安間が監督を務めていたカターレ富山との対決が、J2を舞台に6度実現した。初対戦からドローが3度続いたが、通算では経営規模の小さい富山が2勝1敗3分と勝ち越している。と同時に、この時期には、両チームによる練習試合が頻繁に組まれていた。

 その理由について、大木は「富山みたいなチームと試合をしないと、自分たちの課題も見えてこない。こちらがやるべきことを少しでもサボると、やられちゃう。誤魔化しが利かない相手だから」と言い、戦うごとに成長が見て取れる富山の選手たちの姿に「やっぱり、アイツはやるべきことをしっかりとやっているよね」と、安間の指導力に感心していた。

 大木は京都で2年続けてJ1昇格プレーオフ敗退、FC岐阜の監督をしていた19年にはシーズン途中での契約解除を余儀なくされた。対する安間も富山でJ3降格を経験。その後はFC東京 U‐23監督やトップチームのコーチを務めてきた。どちらも常勝とはいかず、酸いも甘いも紆余曲折あったサッカー人生が再びめぐり逢い、今回8年ぶりの直接対決となった。

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