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「なぜ小野伸二みたいな天才的な高卒Jリーガーがいなくなった?」セレッソユース“技術委員長”風間八宏の答えは…
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph byJ.LEAGUE
posted2021/05/16 17:02
1998年清水商卒業後、浦和レッズに入団した小野伸二。シーズン9得点を挙げ、新人王&Jリーグベスト11に
優れた選手はいるし、平均値は間違いなく上がっている。だが、ヨーロッパに目を向けたら、10代の中心選手がたくさんいる。育成改革が必要だと確信した。
「小野伸二の世代の頃までは、高校からJリーグに入って来る選手はみんな強烈でしたよね。野球でいうところの4番打者、エース級がごろごろいた。今は驚きをもたらす選手が減ってしまった。
昔なら中田英寿、名波浩、小野伸二、中村俊輔たちは特別なプレーヤーとしてヨーロッパへ行った。そういう個性がどんどん薄まっていると感じています」
大空翼、日向小次郎、松山光だって“別のチーム”
なぜエース級が減ってしまったのか? 風間は育成の構造に原因があると見ている。
「Jリーグの初期は、地域のエースがJユースにさえ集まりすぎることはなかった。それがいつしか、様々なチームが短期的に“今”を見て“その時点のエース”を集めてしまっている。
たとえばJユースの人数は1チームあたり約30~40人。そこにエースを集めると、エースの役割をできるのは1人になってしまう。『キャプテン翼』だって、大空翼、日向小次郎、松山光らエース級が異なるチームを背負っているから切磋琢磨して、それぞれのスケールが大きくなるわけじゃないですか。
早くからエースを集めすぎる傾向が、小野伸二のような選手の数を減らしていると思います」
風間は名古屋の監督時代、元バルセロナのデコと食事する機会があった。デコは引退後に代理人になり、MFシミッチ(現川崎)の担当者として来日したのである。
「デコはバルセロナへ加入したとき、ロナウジーニョやジュリら10番タイプばかりでチームが成り立たないと思い、監督に『僕を守備的なMFにしてください』と言ったそうです。
このようにプロでは、エース級が競争の中で脇役になっていくことはよくあります。でも、それを育成年代からやったら個が潰れてしまいます」
「Jユースか部活か」問題
高校年代で脇役にならないように、セレッソはエース級を抱えすぎないつもりだ。風間は大阪の指導者と連携して、みんなで育てる方針を打ち出した。