箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
箱根駅伝大ブレーキから3年「さすがに精神的に辛かった」 元駒大エース・工藤有生が振り返る“泣き崩れたあの日”
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byYuki Suenaga
posted2021/05/12 11:02
元駒大エースでコニカミノルタ所属の工藤有生さん。今年4月に現役引退を発表した
「箱根に向けての合宿で、距離走とかできないわけじゃないですけど、動きが全然イメージ通りじゃない。最後の方は、満足に練習を消化することもできなくて。そこで最終的に2区出走はなくなりました。自分としては2年、3年と続けて走って、最後まで2区を走る準備をしてきたので、悔しかったですね」
大八木監督の判断で、最終的に復路の7区に置かれた。2区を走ることができず、練習も消化できなかったので、せめて気合を入れようと頭をバリカンで剃り、坊主頭にした。また、自分の状態を少しでも上げようと鍼灸院に通い、腰に鍼を打った。
しかし、調子が上がっていく気配は感じられなかった。
箱根駅伝当日の朝は「動きが思った以上に悪かった」
2018年1月2日、大学最後の箱根駅伝――。
チームの目標は総合3位以内だったが、まさかの往路で13位に低迷。チームに重たい空気が漂う中、「シード権死守」に目標が切り替わった。ゲームチェンジャーとして7区に置かれた駅伝主将に、期待と責任がズシリとのしかかる。
往路で同学年の高本真樹が4区5位と好走し、力をもらっていたが、当日の朝も1000m1本の調整練習では、動きが思った以上に悪かった。「エースの責任」を背中に背負いつつ、自分の中に渦巻く大きな不安を最後までかき消すことができない。ここで盛り返さなければ、シード権も危うい。工藤は、自分の力を信じてロードに飛び出した。
「あっ、いけるわ」
最初の数キロを走ると朝の動きの悪さはなく、1キロ2分55秒でテンポよく走れた。シード権死守のために順位を挽回すべく、軽快なペースを刻んでいく。ところが、5キロを過ぎてから突然、左足に異変が起きた。
「あれ? 力が入らない」
頭が真っ白に「やばい、どうしよう」
嫌な予感を押し込めようとしたが、10キロを越えると症状がさらに酷くなった。左足から力が抜けて、思うように動かない。
「レース中に、その症状(ぬけぬけ病)が出てしまうのは初めてのことで、しかもかなりひどい状況でした。それで余計に驚いてしまって、頭が真っ白になってしまった」
左足を手でたたいて刺激を入れても足は何も反応しない。体が横ブレし、徐々にスピードが落ちていく。その時点で、まだ10キロも残っていた。
「頭の中は、『やばい、どうしよう』しかなかったです。周囲に前を走っている選手がいたら引っ張ってもらえたかもしれないけど、誰もいなかった。今、思えば一度止まってストレッチをした方がリズムを変えて走れたのかなと思うけど、その時は冷静に考える余裕がなくて……」