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箱根駅伝大ブレーキから3年「さすがに精神的に辛かった」 元駒大エース・工藤有生が振り返る“泣き崩れたあの日”
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byYuki Suenaga
posted2021/05/12 11:02
元駒大エースでコニカミノルタ所属の工藤有生さん。今年4月に現役引退を発表した
「入学の頃は、『元気か』みたいな普通の声掛けが多かったんですけど、徐々に『もっとやれるぞ!』と言われるようになって、少しずつ監督とのコミュニケーションが変わっていったんです」
信頼を置く大八木監督の指導の下、レベルの高い仲間とともに厳しい練習を続け、競技力はどんどんと上がっていった。そして、大学1年の秋に満を持して全日本大学駅伝に出場。5区2位で駅伝デビューを果たす。つづく箱根駅伝では4区を任され、区間2位という好走も見せた。
なにより工藤にとって、初出場の箱根駅伝は「一番印象に残っている」レースでもある。今でも初めて箱根路を走った時の記憶は鮮明だ。
「とにかく声援がすごい。耳の鼓膜が破れるんじゃないかと思ったくらいで(笑)。先頭で走れたというのも大きかったです」
大八木監督は「とにかく圧がすごかったです(苦笑)」
入学時点ではチームの練習に追いつくのもやっとだったランナーから、駒大のエースへ。この時から、陸上に対する意識も変わっていった。
「1年目は、とにかく勢いでした。大学でトップを目指すとかじゃなくて、世羅高校時代に負けていた選手や同級生に勝ちたい思いが強くて……。でも監督に『上を目指せ』と言われるようになって、2年目からは徐々に大学のトップや世界というのを意識するようになりました」
グンと伸びる時期、大八木監督の『常に上を目指す』ための言葉や指導は工藤を後押しした。
「監督は、人間性を大事にする指導をされていました。それでいて、すごく奥が深すぎて、僕には想像がつかなかった。もちろん厳しいところもありました。とにかく圧がすごかったです(苦笑)。今日こそはなんか言ってやろうと思って前に行くんだけど、何も言えず、結局『はい』みたいな」
日々、叱咤激励がつづいたが、「ほめられることはなかった」という。
「僕は、1位を獲ったことがなく、2位ばかりだったんです。そのせいか、監督からは常に『これで満足するなよ』と言われていて……。正直言うと、『この人を満足させるためには、一体どうしたらいいんだろう?』ってよく考えていましたね。『結構頑張ったと思うんだけどな~』って(笑)。でも、監督の常に上を見ている姿勢が自分のモチベーションにもなっていたと思います」
駅伝主将を任され、最後の箱根を目指すも……
最終学年に上がり、大学陸上界で実力がトップクラスになっていくと、大八木監督から駅伝主将を任された。さらには、夏のユニバーシアードで2位になるなど、結果でもチームを引っ張っていく“駒大のエース”に成長した。
しかし、本格的な駅伝シーズンに入ると、調子が上がらず、出雲駅伝も全日本大学駅伝もいまひとつの出来だった。箱根駅伝を1カ月後に控えた12月。駒大にとっても工藤にとっても、厳しい決断が下される。