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鎌田大地の言葉と長谷部誠の助言に共感しつつ考える… 日本とドイツ(欧州)で違う「自己主張・自己責任・専門性」とは 

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吉崎エイジーニョ

吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki

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posted2021/04/30 17:02

鎌田大地の言葉と長谷部誠の助言に共感しつつ考える… 日本とドイツ(欧州)で違う「自己主張・自己責任・専門性」とは<Number Web> photograph by JMPA

日韓戦でゴールを決めた鎌田大地だが、興味深いコメントを残している

中田英寿、本田、宮本、大黒、松井を見て感じること

 では、こういった点が具体的にピッチでの思想の何に影響を与えるのか。以下もまた、筆者のこれまでの取材と研究に基づく見立てだ。ぜひとも、日本代表のトッププレーヤーの話を聞いていきたい。ちなみにこの連載の定義では、欧州・南米は「キリスト教社会という範疇においてはほぼ同じ」という考えだ。実際に筆者自身、アルゼンチンやブラジルなどでプレー経験のある人と話をしても「同じだよね」と共鳴しあうことが多い。

◆自己主張

 前述の通り。「神と繋がった個人同士」は年齢による上下関係がないから、自己主張も強い。

 幼少期から上下関係もないから、フィジカルコンタクトも厭わない。だからインテンシティが強くなる。身体だけではなく、ぶつかり方を知っているのではないかという仮説がある。筆者はドイツ時代の所属クラブのユースチームで、「8歳が10歳を蹴っ飛ばして泣かす」といった場面をよく見てきた。

 ちなみに日本でもこの「年齢による上下関係」について「変わりたい」という願望はすでに共有されている。

 なぜ、中田英寿と本田圭佑に熱狂する? 日本代表内で年齢に関係なく「自分だけの特長を発揮して勝利に貢献できるのだ」と主張してきたからではないか。中田は先輩を呼び捨て、本田はFKのチャンスに中村俊輔にキッカーを譲ろうとしなかったエピソードが知られる。それはもはや「欧州化した日本人像」なのだ。

◆自己責任

 自分の責任の範疇においては徹底的に任務を遂行するが、それ以外は他に任せきる。この傾向が、日本や韓国よりも強い。

 この点について初めて関心を持ったのが、03年にオランダのPSVで韓国人サイドバックのイ・ヨンピョに話を聞いた時のことだ。

「ここでは、オーバーラップをしたら自分で責任をもって戻れ、ということになっている。そこが難しいですね。韓国ではその後のカバーリングの陣形変化まで戦術として決まっていたので」

 もちろん日本人プレーヤーからも似た声が聞かれる。2013年に宮本恒靖から、オーストリア時代の話を聞いた。監督から「味方ボランチのプレーエリアでターンを許したなら、センターバックが前に出ろ」と指示されたという。宮本は「それでは残りのセンターバックが一人になる」と思ったが、監督の答えは「残った一人は自己責任で守れ」。

 またフランスでプレーした大黒将志と松井大輔からは「フランスのセンターバックには『抜かれたら個人の責任』という考えが強い」という趣旨のコメントも聞いた。

 筆者自身がドイツでこの点を強く感じたのは、ピッチ外でだった。カフェで、電化製品店で。「担当エリア以外の仕事に、別の担当者が取り組んでくれない」。おかげで散々待たされた。そこにスタッフがいるというのに……。

【次ページ】 風間八宏さんに話を聞いて考えたこと

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