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【デビュー40年】「こいつは命張ってるな、と」 “本人”が語っていた初代タイガーマスクとD・キッド、小林邦昭の“本当の関係”
posted2021/04/23 17:02
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
AFLO
1981年4月23日、蔵前国技館で初代タイガーマスクが衝撃的なデビューをはたした。あれから早40年という時が経ったが、プロレスファンの記憶の中で、その輝きはまったく色あせていない。それほどまでに鮮烈で、いまだに唯一無二の存在なのだ。
しかし、当時はそこまで期待されてのデビューというわけではなかった。もともと新日本プロレスにタイガーマスクという覆面レスラーを登場させる企画は、原作者の梶原一騎とテレビ朝日から持ち込まれたもの。81年春からテレ朝で『タイガーマスク二世』の放送が決まっており、同じテレ朝系列で放送中の新日本プロレス中継『ワールドプロレスリング』でも、同時進行で生身のタイガーマスクが闘うという、今でいうメディアミックス。もっといえば、アニメの宣伝のために企画されたレスラーだった。
タイガーマスクのデビュー戦には失笑が
アニメ『タイガーマスク二世』の放送開始は81年4月20日で、“生身”のタイガーマスクのリング初登場は4月23日。テレ朝側からしたら、「相乗効果で話題になればいい」という程度のことだったかもしれない。ところが、実際のタイガーマスクは、アニメをはるかに上回る人気を獲得した。それは“正体”がプロレス史に残る天才、佐山サトルだったからに他ならない。
4月23日、蔵前国技館でのデビュー戦。タイガーマスクが入場すると、急ごしらえで作った粗悪なマスクとマントをつけたその姿に、客席からは失笑が起こった。当時の新日本プロレスファンは、アントニオ猪木が標榜するストロングスタイルのプロレスに心酔し、世間の偏見とも闘う硬派なファンが多く、漫画のキャラクターがそのままリングに上がることに、拒絶反応もあったのだ。
しかし、ゴングが鳴り試合が始まると、その空気は一変する。これまで見たことがないような素早くキレのある動きにどよめきが起こり、その声は試合が進むにつれて大きくなった。そしてタイガーマスクが高角度ジャーマンスープレックスで勝利すると、入場時とは比べ物にならない大きな歓声と拍手に包まれた。