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長州力に聞くプロレスマッチメイクという仕事 「おい、何が聞きたいんだ? 本当に『Number』なんだろうな?」
posted2021/05/06 11:01
text by
井上崇宏Takahiro Inoue
photograph by
Takeshi Yamauchi
初出:「Sports Graphic Number 1006号」(2020年7月2日発売)<名勝負は素材が命>長州力「マッチメイクは定食屋と同じだぞ」(肩書等すべて当時)
「おい、俺にプロレスの話を振るなと何度言ったらわかるんだ。えっ、これ『Number』なのか? ……テーマはなに?」
プロレスマスコミか、それ以外か。長年、プロレス専門メディアに対して見下げた態度を取り続ける長州力は、アントニオ猪木が参議院議員選挙で初当選し、新日本プロレスの社長を坂口征二にバトンタッチした1989年に現場監督に就任。それは坂口からの要請によるものだったが、そもそもプロレスの現場監督とはどのようなポジションなのだろうか。
「まあ、やっていたことはマッチメイクだよな。マッチメイクって言葉は俺はあんまり発したくないものではある。だけどまあ、べつに変な意味でもないか。試合を組む、流れを組むっていう。俺はそれを坂口さんから引き継いだんだよ。
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当時は(武藤)敬司とチンタ(橋本真也)、蝶野(正洋)が海外から帰ってきて闘魂三銃士を作ったわけだけど、あの三バカトリオは素材として個性があったよな。ただ、プロレスの世界っていくら素材がよくても潰れていった奴なんていくらでもいるじゃん。身体もあるし、身体能力もあるのに自分でその素材を腐らせていったような奴も多いよね。
だから俺なんかは、その素材も含めていかにメイクしていくかっていう。レスラーっていろんな個性を持っていて、一般社会でのルールが通用しないような連中だから、メイクするほうも頭が壊れてくるけどな(笑)」
猪木を頂点とした殺伐としたプロレスを脱して
'90年代の新日本は、堅実な経営を心がける坂口と、剛腕で現場を取り仕切る長州のふたりによって隆盛を誇ることとなる。『G1クライマックス』(1991年)や『ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア』(1994年)の初開催、1997年にはアメリカWCWで誕生したnWoブームを輸入して、4大ドームツアー(東京・大阪・名古屋・福岡)を成功させた。
それまでの猪木を頂点とした新日本の殺伐としたカラーとは違う、闘魂三銃士や馳浩、佐々木健介といった複数スター制を導入した華やかでスピーディーなプロレスは、一気にリング上を、そして経営をも明るいものにした。
長州の言う「メイクする」とは、試合を組むだけでなく、シチュエーションを作る、キャラクターを作るといったさまざまな意味が込められているようだ。どうやら、そういう作業を施すポジションの人間がいてプロレスは成り立っている。