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中学生で日本代表、狩野舞子は“期待の美少女エース”のころをなぜ「暗黒時代」と呼ぶのか【衝撃の“春高ポスター事件”】
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byShigeki Yamamoto
posted2021/03/25 11:04
笑顔が絶えないインタビューだったが、狩野自ら「暗黒」と語るほど若手時代は塞ぎ込んでいたという
中学生の日本代表選出は24年ぶり
狩野舞子という少女が、世間の注目を浴びたのは2004年。八王子実践中学3年の時だ。
中田久美以来24年ぶりに中学生での日本代表選出という話題性に加え、当時から身長は180cmを超える逸材。その前年のワールドカップで大旋風を巻き起こした栗原恵と大山加奈のメグカナコンビ、“スーパー女子高生”と人気を集めた木村沙織に続く待望の大型アタッカーの登場にメディアは色めき立った。
さらに色白の整った顔立ちも相まったことで、狩野は「期待の美少女エース」として実力以上の注目を集めていく。
代表合宿中のケガでアテネ五輪への出場はかなわなかったのだが、八王子実践高に入学した時点ですでに狩野の知名度は群を抜いていた。1年時から出場した春高でもエースとして活躍、試合が終われば多くのカメラや記者に囲まれる。
そんな背景から、2006年の春高でも狩野は紛れもなく大会ナンバーワンの注目選手であり、大会の「顔」だった。
「春高」を盛り上げたい気持ちから
同時期に大会の運営、さらにはPRを担うフジテレビ事業部のスタッフが一新されたこともあり、「もっと高校生のフレッシュな大会として盛り上げよう」と春高自体も変化を求めていた。その新たな挑戦の第一歩とも言えるのがポスターだった。
「インパクトを考えても、狩野を起用することは必然だった」
そう振り返るのは、当時のフジテレビ事業部プロデューサーで、後にバレーボールを含むスポーツ局でもプロデューサーを務めた藤山太一郎だ。
「春高は高校生バレーボール選手にとって魅力的な大会で、高校生が主役。そういう新しさ、カッコよさを全面的に打ち出したかったんです。前年までのポスターは試合のスナップ写真がズラっと並ぶ中に『春高』と描かれているだけで見栄えはしない。そんな時に前年度優勝の深谷にスーパースター・八子君が出て来た。これはぜひ、八子君をポスターに使いたい。じゃあ女子はどうするか? と考えた時、知名度、注目度で言えば圧倒的に狩野舞子でした」
もちろん、「高校生の大会であるにもかかわらず、特定の選手を取り上げるのはどうなのか」と高体連は難色を示す。だが、新たなスターの誕生をアピールしてスポーツ界を盛り上げたいと嘆願を重ねた結果、世代を代表する2人を“高校生バレーボール選手”の象徴とすることに理解を示した。大会名も漢字表記から「HARUKO」とローマ字に変え、完成したのが2人の顔が大きく並んだポスターだった。
「結局、舞子さんだよね」
狙い通りの出来栄えに、藤山は「大満足だった」と言う。
では狩野はどうか。
「下馬評ではその年の(八王子)実践が東京では1位だろうと言われていたけれど、まだ出場が決まったわけじゃない。実際、大会直前の合宿で腰を痛めて、毎日注射を打ちながら練習していたのですが、大会の注目選手として扱ってもらう以上、出ないわけにはいかない。ポスターにもしていただいたし、少なからずプレッシャーはありましたね」
男子は前年に続き、名実共に大会の「顔」となった八子を擁する深谷が連覇を果たす一方で、八王子実践は準々決勝で優勝した東九州龍谷に敗退。しかし試合後、勝利チーム以上に多くのメディアが囲んだのは、狩野だった。
「自分がバリバリやって、引っ張った結果ならいいんです。でも腰が痛くて迷惑しかかけていないし、そもそも大会直前までは別の選手が入ってチームをつくってきたのに、試合になれば私が出る。外された子からすれば『結局、舞子さんだよね』となって当然で、私を気遣って頑張ってくれる仲間もいる。注目されるのはありがたいし、バレーボールを広めるために必要なことだよ、と言われれば今は理解できます。でも当時は嫌でしたね。試合前もカメラがグイグイ近寄ってくるから、集中できない。そっとしておいてよ、という気持ちは常にありました」