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ベンゲルが受けた圧力と“非国民”扱い… 自伝に書いていない“八百長事件”マルセイユとの闘争、日本への「亡命」 

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フローラン・ダバディ

フローラン・ダバディFlorent Dabadie

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posted2021/03/22 11:02

ベンゲルが受けた圧力と“非国民”扱い… 自伝に書いていない“八百長事件”マルセイユとの闘争、日本への「亡命」<Number Web> photograph by Takao Yamada

グランパスで指揮を執っていた頃のベンゲル。ストイコビッチらを活用し、Jリーグに旋風を巻き起こした

孤立どころか多方面からの圧力、“非国民”扱い

 ベンゲル監督は孤立してしまいました.「マルセイユは怪しい」という発言を繰り返しても、ただの悪口として片付けられ、それどころか多方面から自身への圧力が高まったのです。

 私は当時のベンゲルさんを見ていたとき、ハリウッド映画『アンタッチャブル』で悪名高きマフィアのボス、アル・カポネと戦うエリオット・ネス捜査官(ケビン・コスナー)を連想しました。ベンゲルに対する攻撃は凄まじかった。おそらく、それが理由で、彼は日本に"亡命"したのです。

 92-93のCL決勝後にマルセイユの2人の選手とGMが八百長事件で捕まり、国内リーグのタイトルが剥奪されますが、ベンゲルの名誉挽回にはなりませんでした。

 むしろ、信じられないことに、マルセイユをクラッシュさせた"非国民"として、一部のフランス人サッカーファンには睨まれました。まっすぐなベンゲルはそれでも母国を批判せず、黙々と海外でサッカー人生を歩む決心をしたのです。名古屋グランパスの次には、ご存知の通りアーセナルを選びました。

 イングランドで大活躍し、ようやく人気を取り戻しました。少しずつ、フランスのサッカーファンは彼が正しかったと認めました(10年間かかりましたが)。2001年にベンゲルが『レキップ』誌の表紙を飾ったのは、フランスサッカーとの和解の決定的な証でした。

 以来15年間、フランスでも人気が高まり、次期フランス代表監督の第一候補とされ続けましたが、彼はアーセナルへの忠誠心から断ります。96年に自身を助けた恩人のデービッド・ディーン(アーセナル副会長)を裏切ることはできませんでした。

「時には失望や恨み、怒りを感じ、客観的な目を失ってしまうことだってある。感情に流されてしまうときもある」と自伝でさりげなく振り返る本人。そのトラウマを未だに話せないのです。しかし、著書では「正々堂々と戦う」ことをモットーにし、今年3月16日に行われた日本語版の出版記念記者会見で、「恐れずに挑戦しろ」と日本代表選手へ訴えました。フランスでの苦い体験が背景にあるに違いありません。

 常に正義のために戦った男、アーセン・ベンゲルは、どんな嵐の中でも、魂を売らなかった。FIFAの育成テクニカル・アドバイザーに就任した今、ベンゲルさんは世界のサッカーを少しずつ変えていくはずです。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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