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ベンゲルが受けた圧力と“非国民”扱い… 自伝に書いていない“八百長事件”マルセイユとの闘争、日本への「亡命」

posted2021/03/22 11:02

 
ベンゲルが受けた圧力と“非国民”扱い… 自伝に書いていない“八百長事件”マルセイユとの闘争、日本への「亡命」<Number Web> photograph by Takao Yamada

グランパスで指揮を執っていた頃のベンゲル。ストイコビッチらを活用し、Jリーグに旋風を巻き起こした

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フローラン・ダバディ

フローラン・ダバディFlorent Dabadie

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Takao Yamada

 アーセナル史上最高の監督であり、フランスサッカーの殿堂入りが確実視されているアーセン・ベンゲルをまだよく知らないサッカー愛好家がいれば、朗報です。

 ベンゲル本人による唯一の公式自伝『赤と白、わが人生』の日本語版が刊行されました。監督デビュー時代のナンシー、飛躍のモナコ、最盛期のアーセナルと、欧州で率いた3チームのカラーがともに赤と白でした。

 ベンゲルは正義感を体現した「白い」サッカー人生を送り、時には「赤い」悪魔と戦ってきました。悪との戦いといえば、自伝の中でも語らない、いや、未だに語れない来日の本当の理由、大きな"秘密"があります。その中身を知れば自伝をさらに楽しく読めるはずです。

 著書の中に、ヒントとなるこういった言葉がありました。

「日本で過ごした1年半は、家族やフランスリーグのプレッシャー、欧州のサッカー界に蔓延していた一種の残忍さや暴力的なムードとはまったく縁のない時間だった」

ベンゲルは当時欧州サッカーを忘れたがっていた

 この発言の裏にある欧州での辛い経験とは何でしょうか。トップレベルの重圧だけではありません。もっとパーソナルな戦いに言及しています。日本への"亡命"の理由でもあります。2010年に来日したザッケローニ監督もそうでしたが、1995年に名古屋へやってきたベンゲル監督も、当時は欧州サッカーを忘れたがっていたのです。30年前に遡りましょう。

 1990年代前半、フランスでは名門マルセイユが絶対的な強さを誇っていた時代です。フランス代表のデシャンとパパン。バロンドール本命だったピクシー。南米最優秀選手のエンゾ・フランチェスコリや鬼才のドリブラー、イングランド代表のクリス・ワドルを集めた銀河系軍団でした。88-89から92-93シーズンにリーグ5連覇を果たしました(92-93は後に剥奪)。

 しかし、90-91と91-92シーズンの準優勝はベンゲル率いるモナコでした。もしマルセイユがいなければ、リーグ優勝の2度や3度は堅かった。モナコはそれぐらい強いチームでした。

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