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ホークススカウト「今のボールなら“支配下”でしょ」 ソフトバンク“育成の星”候補、左ピッチャー大関友久とは何者か?
posted2021/03/17 11:03
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
KYODO
たったそれだけのことで……と、眉つば扱いされるかもしれないが、文章にするからには、少なからず確信がある。
3月3日、福岡・PayPayドームで行われた中日ドラゴンズとのオープン戦。ソフトバンクの育成2年目左腕・大関友久投手が、8回1イニングで三振2つを奪い、三者凡退でオープン戦初登板を飾った。
桂依央利捕手、根尾昂内野手を三振に、加藤匠馬捕手を一塁ファールフライ。相手はまだ一軍で結果を残していない打者たちとはいえ、それだけに相手も生き残りを賭けて、必死に向かってきたはずだ。
そこを、わずか14球で切ってとったのだから、次回の「テスト」につなげた好投だろう。
やっぱり、来たか……そんなに自信満々ではなかったが、彼が大学野球を終える直前のある時、ピンと来た一瞬があった。
ソフトバンク・大関友久、いったいどういう投手なのか?
茨城の公立高校で2年秋からエースだった
この左腕、茨城の高校時代から追いかけてきた。
土浦湖北高は公立校の中では毎年「夏」の上位に食い込んでくるなかなかの強豪で、DeNAの中継ぎとして活躍した須田幸太(現・JFE東日本)が4番でエースだった2004年には、センバツ高校野球にも出場している。
大関は、その土浦湖北高で2年の秋からエースだった。当時で185cm84kg……下半身の充実に目を奪われた。
ドッシリとした土台と豪快に腕を振り下ろすオーバーハンド、スタンドからはドーンと来るような重い球質に見えた。しかし目立つボールは落差の大きいカーブとスライダーのほうで、当時はまだ140キロに届く速球もなかった。
むしろ、ふところの深いバッティングのほうに目を奪われた。当時まだ主流だった、上から下に向かって切るようなスイングじゃない。後ろから前に水平に振り抜ける素直なスイング軌道。外野に行ってから伸びるバックスピンの打球が打てる。
高校生の大型左腕にありがちなぎこちなさが、投げても打っても見られない。「野球上手」の印象が、当時の私には強烈だった。
「この次は、自分のボールを受けてください!」
野球上手なのだから、股関節がほぐれて体重移動の感覚を覚えたら、ボールが変わってくるはず……。大関投手に再会したのは、彼が仙台大学の2年生になった春。エース・馬場皐輔投手(現・阪神)のピッチングを受ける取材で、グラウンドにお邪魔した時のことだ。