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最長本塁打と最短本塁打。177メートル弾と60センチ弾はいかにして生まれたか 

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芝山幹郎

芝山幹郎Mikio Shibayama

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posted2021/03/13 11:00

最長本塁打と最短本塁打。177メートル弾と60センチ弾はいかにして生まれたか<Number Web> photograph by Getty Images

ホームランの着弾地点とされる旧マイル・ハイ・スタジアムのアッパーデッキに立つジョーイ・マイヤー。この翌年にメジャーに昇格した

 こちらの主人公は、アンディ・オイラー。168センチ/62キロの小兵で、ストライクゾーンを狭めるために打席で身をかがめると、「プレッツェルのような恰好に」見えたそうだ。1902年に1年間だけ、アメリカン・リーグのボルティモア・オリオールズで働いているが、それ以外はマイナー暮らしだ。「事件」が起きたときは、ミネアポリス・ミラーズ(2A)の遊撃手だった。

 オイラーに味方したのは、前夜から降りつづいた激しい雨だった。視界は非常に悪く、グラウンドはぬかるみと化している。

 内角ぎりぎり、頭部近くに投げ込まれた危険球から逃れようと首をすくめた瞬間、よけたバットにボールが当たり(普通に打ったという説もある)、打球はオイラーの足元に落ちた。ホームプレートからは24インチ(約60センチ)しか離れていない。

消えたホームランボール

 ただ、落ちた場所が沼のようなぬかるみだった。球は地中にずぶりと埋もれ、相手選手の視界から消えた。

 打球の行方を知っていたのは、オイラーひとりだった。捕手や投手、さらには内野手がおろおろとボールを探しまわる間に、オイラーはダイヤモンドを駆け抜けてしまった。球史に残る椿事というか、空前絶後のランニング・ホームランだった。

「事件」の記事を最初に載せたのは、1911年の〈バファロー・エンクワイアラー〉だった。アメリカ人好みのトールテイルとあって、話はその後も広がり、50年代には、ジョッコ・マックスウェルやビル・ブライソン・シニア(どちらもスポーツライター)の紹介で全米に知れ渡った。1990年にはマイケル・G・ブライソン(先ほどのブライソンの息子)が野球の奇談を集めた『24インチのホームラン』という本が出版され、2005年にはマット・タバレスの絵本『マッドボール』も刊行されて評判を呼んだ。

 もっとも、この「最短ホームラン」が事実だったかどうかは、明らかではない。事件が1900年に起こったとする報道もあるが、そのときはオイラーがまだ球界入りしていない。ミラーズ在籍時代の04年には「本塁打1」という記録が残っているが、これは特別な本塁打ではなかったようだ。

 つまり、時期が時期だけに物的証拠が存在しないのだ。だが、仮に作り話であってもかまわないではないか、と私は思う。楽しいホラ話と野球は、大体いつも相性がよい。

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