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最長本塁打と最短本塁打。177メートル弾と60センチ弾はいかにして生まれたか
posted2021/03/13 11:00
text by
芝山幹郎Mikio Shibayama
photograph by
Getty Images
野球史上、最も飛距離の長いホームランを打った選手はだれだろうか。
ベーブ・ルース? ミッキー・マントル? バリー・ボンズ? ジャンカルロ・スタントン? アーロン・ジャッジ? お馴染みの名前がぞろぞろと候補に上がるが、正解は、彼らビッグネームではない。
スポーツライターのマット・モナガンが、史上最長距離の本塁打と最短距離の本塁打に関する記事を、MLB.comで書いている。面白い記事だったので、いくらか細部を補いつつ紹介してみたい。
伝説のヒーローはマントルだった。ヤンキースに入ったばかりの1951年3月、USC(南カリフォルニア大学)を相手の練習試合(場所はアリゾナのキャンプ地)で、新人のマントルは特大の一発を放った。推定飛距離は550~600フィート。昔からいろんな本にそう書かれ、伝説的な大ホームランと呼ばれたが、実際は相当に尾ひれがついていたらしい。65年後の2016年、当時、試合に出たUSCのメンバーが何人か集まり、500フィート前後だったと証言する映像がインターネットに出ている。
史上最長のホームランを放ったのは曙太郎のいとこ
正式に計測された史上最長のホームランは、怪力ジョーイ・マイヤー(191センチ/118キロ)の放った一撃だ。1987年6月2日、デンヴァー・ゼファーズ(3A。ブルワーズの下部組織)所属のマイヤーは、本拠地マイルハイ・スタジアムで、この本塁打を放っている。
対戦相手はバファロー・バイソンズ。打たれた投手はマイク・マーフィ。本塁打の映像はウェブで見られるが、夜空に高々と舞い上がった打球を、キャメラがとらえきれていない。アナウンサーの上ずった声で、左翼アッパーデッキの中段に着弾したことは見当がつくものの、マイヤー当人も、どこまで飛んだかよくわからなかったようだ。
試合後の新聞記事によると、三塁ベースコーチに「アッパーデッキまで飛んだぞ」といわれたときも、てっきりジョークと思い込んだらしい。飛距離582フィート(約177メートル)。高地の球場なので空気抵抗が少なかった、という好条件があったにせよ、めったに見られない長距離弾だ。
マイヤーは88年と89年にブルワーズでプレーしたあと、90年には横浜大洋ホエールズで1年間働いた。日本での成績は、104試合で26本塁打。足が遅くて守備範囲も狭かったが、その怪力を覚えている方は少なくないのではないか。62年にホノルルで生まれ、現在はマウイ島の病院で警備の仕事をしている。大相撲でかつて横綱を張った曙太郎が、いとこに当たるそうだ。
一方、最短(最小)本塁打は、野球黎明期の20世紀初頭に出たといわれている。