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高校からプロ野球、元エリート球児の“意外な”悩み「プロ同期との人間関係がツラくて野球がイヤに…」 

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安倍昌彦

安倍昌彦Masahiko Abe

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posted2021/03/02 17:01

高校からプロ野球、元エリート球児の“意外な”悩み「プロ同期との人間関係がツラくて野球がイヤに…」<Number Web> photograph by Getty Images

元エリート球児の意外な悩み事とは? ※写真はイメージです

 プロに進むほどの球児だ。3年間、野球、野球の毎日だったはずだ。

 家と学校とグラウンド……、極めて限られた人間たちとだけ生活してきた3年間。

 寮生活なら「通学」がないから、出会う人間の数はもっと少なくなる。さらに、学校が「野球部クラス」のような構成なら、3年間、ほぼ野球部員としか交わらない。そんな実態もあると聞いている。

 閉鎖的なんて言ってはいけないのだろうが、私の場合も、あらためて考えてみたら、野球に打ち込んだ中学、高校、大学で、野球部以外の「友だち」はほとんど出来なかった。野球以外の思い出……記憶をかき集めるように当時をたどってみたが、ほとんど何も出てこない。我ながら、ちょっと愕然とした。

球児を野球の現場に閉じ込めすぎてはいないだろうか

 球児たちを、野球の現場だけに閉じ込め過ぎてはいないだろうか。

 野球漬けの3年間の「結果」として、仮に輝かしい偉業があったとしても、それと引き換えに、ハタチ前の青年として当たり前に持ち合わせていなければならない「社会性」という財産を、いつの間にか、彼らはどこかに置き忘れてきてはいないだろうか。

 人間関係のカベに突き当たるのは、プロ野球に進んだ時だけじゃない。進学先や就職先でも、大なり小なり、彼らは同様の戸惑いに悩まされているのではないだろうか。

 意図を察する、汲む、胸を開く、折り合いをつける、清濁合わせ飲む……。言葉はなくなりつつあるが、その「意味」は間違いなく現代にも残っている「人」としての身の処し方。そのへんを、知らず知らずのうちに身の内に取り込むには、ある狭い空間での「経験」だけでは不十分なのではないか。 

人の野球をもっと見に行こう

 球児たちを「社会」に放とう。

 冬場のアルバイトはどうか。できれば、部員全員で年賀状配達……よりは、部員一人ひとりが違った「社会」を経験できるような形で。

「そんなことさせたら、何をしでかすか、収拾つかなくなりますよ!」

 実は、球児たちは、言うほど大人たちから信用されてもいない。だからこそ、「社会」の中でゴリゴリもまれる経験が必要なのではないか。

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