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箱根駅伝に9校の“主将”が出走できず…早大・吉田匠は何を思ったか 「気持ちの整理をして、両親には伝えました」

posted2021/02/27 11:02

 
箱根駅伝に9校の“主将”が出走できず…早大・吉田匠は何を思ったか 「気持ちの整理をして、両親には伝えました」<Number Web> photograph by AFLO

20年の箱根駅伝、小田原中継所で千明龍之佑(左)から襷を受け取る吉田匠。競技を引退し、次の舞台を見つめている

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和田悟志

和田悟志Satoshi Wada

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「久しぶりに何の重荷もなく、楽しんで走ることができました。あまり練習をしていなかった分、きつかったですけどね……」

 1月の終わり、早大で駅伝主将を務めあげた吉田匠は「高山ダム駅伝」という地元の駅伝大会に出場した。最後の箱根駅伝を走ることができなかった吉田にとって、11月の記録会以来のレースであり、これが競技者としての引退レースになった。

 参加を勧めてくれたのは、京都・洛南高時代の恩師、奥村隆太郎だ。箱根駅伝を終えて奥村に連絡すると、「走れなかったことは残念だったけど、よく頑張った」という労いの言葉とともに、大学で競技に区切りを付ける吉田の気持ちを慮ってか、「引退試合に出ておかなくていいのか?」と切り出されたという。

「先生が現役を引退した時も、ケガとかがあって、自分の引退試合が何だったのかが分からないままになっているそうなんです。それで“お前はどうなんだ?”みたいな感じで切り出され、“小さい大会でもいいから出ておいたらどうや?”と勧められました」

心の拠り所だった中学時代の陸上部のメンバーに声を

 高山ダム駅伝は京都府南部の南山城村で開催される小さな大会だが、吉田には思い入れがある大会だった。高校1年時の第1回大会で2区を走った吉田は区間賞を獲得。その当時の記録は昨年の大会で破られるまで、高校生の部の区間記録として残っていた。

「最初は全然出るつもりはなかったんですけど、記念として、楽しんで走るのもいいかなと思って、中学時代の陸上部のメンバーに声をかけました」

 吉田は緊急事態宣言下の辛い時期であっても、名門校の主将として気丈に振る舞おうと決めており、部員に弱音をこぼそうとはしなかった。そんな時に相談相手として吉田の心の拠り所になっていたのが、この中学時代の仲間だった。

 中学時代には近畿中学駅伝に出場しているが、その時と同じく吉田はアンカーを走った。結果は見事に区間賞。2.6kmと距離は短いが、アップダウンのあるコースを7分19秒と、なかなかのタイムを叩き出した。

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