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箱根駅伝に9校の“主将”が出走できず…早大・吉田匠は何を思ったか 「気持ちの整理をして、両親には伝えました」
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph byAFLO
posted2021/02/27 11:02
20年の箱根駅伝、小田原中継所で千明龍之佑(左)から襷を受け取る吉田匠。競技を引退し、次の舞台を見つめている
「通告があったその日はけっこうつらかった」
「復路を走るつもりでいたので、前日(1月2日)が一番走る気まんまんでしたね。でも、昼ぐらいに通告があって……。両親には、気持ちの整理をしてから、夕方になって伝えました。その日はけっこうつらかったですね」
吉田は10区10km地点で給水係を務めることになった。
「やれることは少なかったですけど、しっかり最後まで戦おうって気持ちを切り替えました。走っている時は声をかけることに夢中だったんですけど、後になって“給水だけど、一応箱根路を走れたんだな”という感慨がありました」
最後の箱根路はわずか数十メートルだったが、後輩の山口賢助(3年)に力水を手渡し、激励した。正選手として走ることは叶わずとも、主将としての役割を全うしたと言っていい。
「辛かったけど1年間頑張って良かったな」
吉田の4年間。箱根駅伝を走ったのは、前回大会5区の1回だけだった。だが、箱根以外の活躍に目を向けると、得意の3000m障害では、2018年のU20世界選手権で5位に入るなど輝かしい成績を残している。早大卒業後は銀行マンとして新たな人生を歩むことになるが、吉田の引退を惜しむファンもきっと多いのではないだろうか。
「トータルで見れば、箱根も走ったし(前回5区15位)、世界大会も経験できたし、いろんな経験ができて、良い4年間だったなと思います。それだけに、4年目が一番結果がよくなくて、尻すぼみになってしまった。悔いが残る終わり方をしてしまいました。でも、これまでが良いことの方が多かった分、最後に辛いことを味わったのは、社会人になってから絶対に生きることがあると思う。そういう意味では、辛かったですけど1年間頑張って良かったなと思っています」
悔しさを走りで晴らすことはできないかもしれないが、吉田はすでに前を向いている。