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経済には逆らえない…F1ラストシーズンに挑むホンダ、過去3回の「撤退事情」を振り返る 

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尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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photograph byThomas Butler/Red Bull Content Pool

posted2021/02/25 17:01

経済には逆らえない…F1ラストシーズンに挑むホンダ、過去3回の「撤退事情」を振り返る<Number Web> photograph by Thomas Butler/Red Bull Content Pool

最後のシーズンを戦うレッドブル・ホンダのRB16B。ノーズとリアウイングには黄金時代を彷彿させるHONDAロゴが入っている

 ホンダは同時に日本人初のフル参戦ドライバー中嶋悟を誕生させ、日本GPを復活させてF1人気を定着させるなど、日本のモータースポーツ界に大きく貢献。しかし、復帰から9年後の92年、自動車販売不振を理由にシーズン限りで活動を休止した。

 企業としてホンダのF1参戦は終了したが、ホンダのエンジンはそれ以後も走り続けた。92年にホンダが開発していたF1用エンジン(3.5リッターV10)を引き継ぎ、「無限」がF1参戦を開始していたからだ。無限は93年以降も開発・メンテナンスを継続し、2000年末までF1に参戦。その間、ホンダは技術供与やエンジニアの派遣など、サポートを行なっていた。

F1活動継続を許さない経済的逼迫

 2000年から始まった「第3期」の終焉は08年だった。この時の撤退理由はリーマン・ショックによる世界的な金融危機。ホンダ関係者によれば、当時は「もしいま時計の針をあの日に戻したとしても、同じ決定を下していると思う」という経営状況だった。

 しかし、撤退時のホンダは、イギリス・チームのB・A・Rを買収しフルコンストラクターとして参戦していた。このときホンダは従事するスタッフの引き取りを条件に、当時のチーム代表ロス・ブラウンに破格の値段でイギリスのファクトリーごとチームを売却した。その額は、1ポンドだったと言われている。

 ホンダの資産を引き継いだ09年の「ブラウンGP」は、メルセデスエンジンを搭載してタイトルを制覇。旧友たちの勝利をホンダのスタッフたちは日本で涙を流して見ていたという。その中のひとりが、「第4期」ホンダF1のテクニカルディレクターを務める田辺豊治だ。

「実は第2期の終了も現場で聞かされました。第3期のときはオフシーズンでした。09年のクルマのLPL(開発主査)も任され、これから行くぞ、という時期でした。これで3回目。それぞれ状況は違いますが、自分が全力投球してきたプロジェクトが終わりだと告げられるのは、つらい。それは今回も同じです」

【次ページ】 ホンダ・パワーの行方

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