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【サッカー×バスケ同級生対談】筑波大時代から三笘薫は有名人?「マッスーが川崎に来ると知ってうれしかった」

posted2021/02/24 11:02

 
【サッカー×バスケ同級生対談】筑波大時代から三笘薫は有名人?「マッスーが川崎に来ると知ってうれしかった」<Number Web> photograph by L)B.LEAGUE   R)J.LEAGUE 

筑波大の同級生で、同じ川崎を本拠地とするクラブで活躍する三笘薫(右)と増田啓介。学生時代の思い出からそれぞれがプロの舞台で感じ取ったことを話した

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二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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 同じ筑波大学出身で、同じ23歳。同じ川崎をホームタウンに置くプロスポーツチームで活躍する川崎フロンターレの三笘薫と川崎ブレイブサンダースの増田啓介。プレーIQが高く、サッカー界、バスケ界が誇る超期待の両者による初めてのリモート対談が、いざキックオフ&ティップオフ!(全2回の前編/後編へ続く)

――筑波時代、お互いのことを知ってはいたんですよね?

増田 三笘くんは、めっちゃ有名でしたからね。

三笘 そんなことないから(笑)。

増田 2年生のときに天皇杯でジャイアントキリングを起こして(2017年度大会、1回戦J3Y.S.C.C横浜、2回戦J1ベガルタ仙台、3回戦J2アビスパ福岡を破る)、特に活躍した仙台との試合は学校も凄い騒ぎになっていたし、筑波の体育会を引っ張っていってるなって感じていました。

三笘 いやいや、バスケ部こそインカレの決勝に何度も行くような強豪ですよ。僕、バスケを見るのが好きだったので、マッスーのこともよく見ていた。むしろ僕らのほうがバスケ部に追いつけ追い越せでやっていましたよ。

――そもそも筑波を進学先に選んだ理由から聞かせてください。

増田 高校(福岡大附属大濠)の先輩である青木(保憲)さん(川崎ブレイブサンダース)、杉浦(佑成)さん(島根スサノオマジック)らが筑波に行っているということもそうですけど、何よりもバスケットの環境が整っていて、学業もしっかりできて教員免許も取れるのが魅力的でした。

三笘 僕の場合はフロンターレU-18からトップに上がれると思ってなくて、大学に行こう、と。筑波の練習に参加したときに、周りのレベルが高くて自分も成長できるなと感じました。(競技)環境が素晴らしいというところと授業から身につくところ、そのあたりはマッスーと同じですね。

増田 さまざまな競技でトップクラスの人が集まっていて、ネットで調べたらすぐに名前が出てくるような人ばかり。この部が優勝したんだ、この人が優勝したんだとか、僕らも負けずに頑張らないといけないなと思える環境です。

三笘 意識しないようにしていても“させられる”という感じ。(競技成績が)掲示板にバンって出ていたり、テレビをつけたら同じクラスの人が出ていたり。

増田 そうそう(笑)。

三笘 (大学全体に)トップレベルの競技力があって、みんなで切磋琢磨できる環境。それにみんな真面目に勉強もしていた。“地に足つけてやらないとな”と自分も思わされました。バスケもそうだと思うけど、体育会を引っ張るのは自分たちの部なんだっていう意識はあったと思いますし、ほかの部との関係も凄く良かったなって思う。

盛り上がった“筑波あるある”

増田 体育の授業で思い出したんだけど。

三笘 えっ、何を?

増田 サッカーの授業のときに俺ドリブルがめちゃくちゃ苦手で、コーンを30秒で回って帰ってこれなくて4回くらいやらされたことがあった。

三笘 意外。

増田 サッカー部のグラウンド、芝が凄くきれいなんだけど、滑り込んだりすると体にいっぱいつくんだよね(笑)。

三笘 そうそう、あれは勘弁してほしいって思ってた(笑)。

――いいですね、筑波あるある(笑)。さて、お二人とも大学生活では自立心がかなり磨かれたという話を聞きました。

増田 大学になると年齢も上がってきますし、一人ひとりがチームのことを考えて行動するようになったのかなとは思いますね。

三笘 蹴球部は必ず班に入らなきゃいけなかったんですね(※データ班、栄養班、用具班などいずれかの役割をこなすのが部のルール)。サッカーをやるところ以外もしっかりやらないといけないのは再認識させられましたし、同じく一人ひとりが何をやれるのかって考えさせられましたね。

【次ページ】 一人暮らし、勉強との両立に「自問自答」

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