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【サッカー×バスケ同級生対談】筑波大時代から三笘薫は有名人?「マッスーが川崎に来ると知ってうれしかった」
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byL)B.LEAGUE R)J.LEAGUE
posted2021/02/24 11:02
筑波大の同級生で、同じ川崎を本拠地とするクラブで活躍する三笘薫(右)と増田啓介。学生時代の思い出からそれぞれがプロの舞台で感じ取ったことを話した
プロを迷った増田、迷わなかった三笘
――増田選手は卒業後、Bリーガーになると決めていたわけじゃなかったとか。
増田 Bリーグが開幕したのが大学1年のとき。就職して働くのもいいかなと思ったり、教員免許の勉強をしていくうちに学校の先生もいいなと感じたり、周りにいろんな先輩がいて、いろんな話を聞くことができたので、そういう道もあるんだなと思うと、Bリーガーになるとすぐに決断できたわけではなかったんです。
――いろいろと勉強していくことで違う興味が出ることもあるとは思います。まさか三笘選手も、実は……。
三笘 いやいや、(ほかの選択肢は)0%ですね。プロになるために4年間、筑波でやってきたわけですから。ただ先輩たちが企業に就職したり、先生になったり、そういう道もあるんだなとは思いましたけど、自分が輝けるイメージは持てなかった。小さいころからサッカーしかやってきていないので、僕の可能性を引き出してくれるのはサッカーしかないと思っていました。
――結果的にこうして川崎をホームタウンに置くプロのスポーツクラブで特別指定選手、そして入団と同じ道を進み、そしてチームのなかでなくてはならない存在になっています。
増田 今、川崎の町を歩いていても、フロンターレのポスターとかに三笘くんが出ているのをよく目にします。
三笘 いやいや、ブレイブサンダースもあるから(笑)。ただ僕は卒業したら(地元の)川崎に戻るつもりだったけど、マッスーが川崎に来ると知ってうれしかった。出身は川崎じゃないよね?
増田 そう、静岡。
三笘 お互いに川崎にいるし、余計に親近感が出たっていうか、お互いに切磋琢磨できたらいいなって。学生時代はそんなしゃべっていた仲じゃないけど、プレーの映像を見ては刺激をもらっていたし。
増田 もちろん、そこは僕も同じ。
三笘が見た中村憲剛、小林悠の姿勢
――特別指定選手で経験していたとはいえ大学スポーツとプロの違いを実感したところはありますか?
三笘 やっぱりプロなのでいつクビになるかも分からないし、いつケガして選手生命が終わるか分からない。一つひとつの姿勢や準備が問われていて、そこは大学のときとは比にならない。最初のキャンプのときに(中村)憲剛さんや(小林)悠さんとか、年長者の人のそういう姿勢を見て、自分もやらなきゃなとは思いましたね。
増田 僕も三笘くんと同じですね。学生のころは年齢の近い選手でプレーするので友達のような関係になりますけど、プロはあらゆる年齢層の人がいて独特の世界というものがある。学生のときには感じなかったようなプレッシャーもある。入りたてのころは分からないことだらけで、大学の先輩の青木さんとか周りに助けられていろんなことを学べたのも大きかったとは思います。
三笘 大学の先輩にはキャプテンの(谷口)彰悟さん、(車屋)紳太郎さんという偉大な人がいて、常にリスペクトの気持ちを持っているし、そういうふうになりたいっていう思いは僕もあります。