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【197試合無失点】世界最強GKノイアーの物語… 5歳時のテディベア、“遠足”みたいな守備範囲とオーラの秘訣
text by
中野吉之伴Kichinosuke Nakano
photograph byTakuya Sugiyama/JMPA
posted2021/02/20 17:01
2010年W杯時のノイアー。あの驚異的な守備範囲と反応、フィード力。彼がGKの概念を変えたと言って過言ではない
すぐに監督の信頼を勝ち取り、正GKに定着してシャルケの黄金時代に大きく貢献した。11年にはCLベスト4進出、ドイツカップ優勝も果たしている。またドイツU-21代表として09年にU21欧州選手権優勝、同年6月のUAE戦(7-2で勝利)でA代表デビューした。
ドイツでは「遠足」とタブー視されるスタイルも
ペナルティーエリア内でのプレーだけに固執せず、積極的に飛び出していく姿はもはやノイアーの代名詞。ドイツ語で選手が自陣を離れて飛び出していくと「アウスフルーク=遠足」という表現を用いることがあるが、ノイアーのプレーが見慣れたものになるまでは「持ち場を離れて遠足するな!」とネガティブな意味で使われることが多かったものだ。
タブーだった「アウスフルーク」を繰り返す姿に、サッカーファンは度肝を抜かれた。当然ミスをすることもある。それでもノイアーは自身のスタイルを曲げずに前へ出続けた。猪突猛進すぎることもあるが、それでも勇猛果敢なノイアーのプレースタイルはファンに愛され、称賛されている。
シャルケの第3GK時、ケルンへの移籍話が
ノイアーのキャリアは順調だと思われるが、すべての運命があらかじめ準備されていたわけではなく、様々な巡り合わせとタイミングが存在していた。
シャルケの3番手だった時代にはトップチームでの出場機会を求めてケルンへの移籍話が持ち上がっていたという。ところが、2番手のGKが負傷離脱したことで立ち消えとなり、さらには当時のスロムカ監督が若手起用を躊躇しなかったことでレギュラーポジションを獲得することができた。
ドイツ代表でも同様だ。2010年の南アフリカW杯の前、正GKはレネ・アドラーだった。ところが大会前、彼が肋骨を折ってしまったためにノイアーが繰り上がった。
ノイアーならば他の道を歩んだとしてもワールドクラスのGKになっていたかもしれないが、リスクチャレンジを快く思わない監督だったら、プレー機会を得ることがなかった可能性はある。それは、誰にもわからない。
試練の時期もあった。